中国経済が選択するシナリオ:「中国経済はどこまで崩壊するのか」 安達誠司

2010年に中国のGDPが日本を抜き世界第二の経済大国になって久しいが、今後中国経済はどうなるのか、という疑問に対し本書は、役に立つ視点を与えてくれる。その視点とは、「経済成長論」と「国際金融論」という経済学の枠組みである。著者が言うように、経済の短期予測はランダムな外的要因に影響されるので、基本的に不可能である。重要なことは、経済学の枠組みを使っていくつかのシナリオを考え、現在の状況から想定されうる外的要因の影響を加味し、どのようなシナリオが現実化していくか見定めていくことである。

ここで主に用いられている経済学の枠組みは、
1) 経済成長論:経済成長は、労働力と資本(資金、設備、資源など)の投入で決まる。新興国の成長経路は安価な労働力の投入による年率10%近い急速な成長が一段落したあと、一般的な生産性の向上による年率2.5%程度の安定成長に移行するか、それとも成長が停滞する(中進国の罠)かの岐路(ルイスの転換点)を迎える。
2) 国際金融論:為替レートの制御、金融政策の自由、資本取引の自由は、同時には成り立たない(国際金融のトリレンマ)。
という二つの事柄である。

著者の見立てによれば、いま中国経済はまさにルイスの転換点にある。今後、安定成長経路に入るためには、1980年代の日本のように市場を開放して経済の自由化を進めていくことが望ましい。しかし、いま中国当局は特別な理由により人民元の対ドル為替レートを一定の範囲に制御しているため、上記のトリレンマによって金融政策の自由度を失っている状況である。このため金融政策が効かなくなってしまい、経済成長が停滞して中進国の罠にはまる可能性が強くなっている。財政政策は、過剰な公共投資を招くだけという行き詰まりに直面している。

人民元レートの制御は、根深い問題である。中国の伝統的な経済思想は、官僚による大幅な裁量権を認めている。そのため膨大な資産が官僚層に蓄積されており、この資産の海外流出は何としても防がなければならない。低落しがちな人民元レートを維持するため、中国当局は手持ち外貨を使って人民元を買い支え、また資本取引規制によって人民元の流出を抑えようとしている。海外資本が中国国内から退避しないようにするためにも、人民元レートの維持は必要だと考えられている。

最も楽観的なシナリオは、中国当局人民元を混乱なく変動相場制に移行させ、経済の自由化を進めていくことである。ただし最も実現しそうなシナリオは、「中進国の罠」にはまり高インフレと高失業(スタグフレーション)に悩まされるというものだ。固有の経済思想への執着から二十年以上も経済政策を間違え続けている日本の例を考えれば、中国当局もまた固有の経済思想にとらわれて政策変更を躊躇するというのは、いかにもありえそうなことだ。起こりうる確率は低いと考えられるが、日本にとって安全保障上問題となる第三のシナリオは、経済統制が強化され対外強硬路線をとるというものだ。これは軍部が権益を固守拡大すべく動いた戦前の日本を想起させる事態である。

「グラフで見る2018年7月の中国経済動向(大和総研)」によれば、中国経済の崩壊がとりざたされた本書初版時の2016年3月に比べ、失業率も改善、物価も安定、外貨準備も増加傾向にあるので、小康を得ているようである。いくつかの日本企業も中国国内の投資強化を明言しているし、彼らは楽観的な見通しを持っているようである。しかし最近、米国の引き続く利上げや米国との貿易摩擦によって中国経済は再び不安定性を増しつつあり、今後の動向から目が離せない。ただどのような場合であっても、本書でとりあげられた経済学の枠組みを使えば、その後の見通しも立てやすいと思う。