緊縮主義と決別する:「増税亡者を名指しで糾す!」田中秀臣

増税亡者を名指しで糺す!

増税亡者を名指しで糺す!

来年2019年10月には、消費税率が現行の8%から10%に引き上げられる予定である。ただし、本書では、「2019年春の予算編成後に消費増税についての「最終判断」があると予測」(p59)されている。本書はそのタイミングを見据えて、消費増税についての考え方を経済学の立場から整理したうえで、「消費増税は最悪の下策」(表紙)であるとして、増税をとりまく日本の政治社会の諸相、とりわけ消費増税に代表される緊縮主義の病理を明らかにしている。

本書で詳しく述べられているように、政府と日銀を合わせた統合政府で資産と負債のバランスを考えるならば、現在の政府の負債はそれほど問題とするレベルではない。とくにデフレ傾向が続いている現在は、新たに国債を出すことで貨幣発行益の利得が得られる。むしろ国債発行で政府の負債を増やしてでも国土のインフラや人材への投資を積極的に進め、将来世代につけを残さない努力が必要だ。デフレを完全に脱却し通常の成長軌道に戻した後は、経済成長による税収の確保によって健全財政を実現するべきなのだ。

ところが現代の日本においては、「増税や政府支出を減らすことを、たとえ経済が悪化していても推し進める」(p6)という緊縮主義が深刻な危機をもたらしている。本書によれば緊縮を推し進める「日本をダメにする四角形は、増税政治家、経団連、マスコミ、そして財務省である」(p16)。この四角形の背後にあるものは、緊縮を好む国民感情もあるだろう。毎年毎年、政府の新年度予算が拡大することをマスコミは悪いことでもあるように報道しそのことは国民感情も反映しているのだが、そもそも国の経済規模(名目GDP)はふつうなら年々拡大していくものなので、これに伴い政府の予算も自然に拡大していくことが当たり前なのだ。思い起こせば1990年代に様々な「改革」が行われて以降、緊縮主義は強化されたように思う。たとえば2001年に大蔵省から財務省に変わった際、財務省設置法には、大蔵省設置法にはなかった「健全財政」という目的が記載されてしまったことに気づく。

ただ本書によれば緊縮主義が強化されてきたこの20年の間にも、これに抵抗してきた人々はいた。「日本銀行副総裁だった岩田規久雄氏はその代表格だ」(p170)が、本書での興味深い指摘として、新保生二氏の存在がある。驚くべきことに新保氏は、1988年の段階で既に「日本経済はデフレの時代に入りつつあるか?」(P171)と指摘していた。こうした少数の人々の隠れた、しかし着実な努力の末に、近年少なくとも日銀の金融政策は緊縮志向からかろうじて脱することができた。これによって「現在の実質経済成長率は前期比で3%、二十数年ぶりの雇用の改善、持ち直してきた消費など、いよいよ長期停滞から完全に決別するときが近づいている」(p58)。その成果を、消費増税をはじめとする緊縮政策の強化で台無しにしてしまうのは、あまりに残念である。

2019年10月の消費増税が法律で決まっているからといって、まだ手がないわけではない。一般の有権者においても、来春の統一地方選挙、来夏の参院選などで意思を表明する機会は残されていると考える。