「世界の一体化」か、「大拡散」か:「銀河帝国は必要か」稲葉振一郎

 

銀河帝国は必要か? (ちくまプリマー新書)

銀河帝国は必要か? (ちくまプリマー新書)

 

銀河帝国」と「ロボット」というSF小説定番のアイテムを使ってアイザック・アシモフ(1920-1992)が残した膨大な作品群は、もう古典になってしまっており、今の中高生は昔の私のように熱中してのめりこむほど読む、ということは無くなっているだろうか。

アシモフは当初、「銀河帝国」と「ロボット」ものを別々に書いていたが、晩年にこの二つのシリーズを統合した。本書は、晩年の統合された「ロボット=帝国サーガ」に特に焦点を当てて、これを、「 たんなる寓話ではなく、まさしく同時代のSFとして、われわれ自身の現実の見方を変えてくれる物語として」(本書、p200)読もうとした取り組みである。

本書ではアシモフの作品群を読み込むにあたり、現代のロボット倫理学と宇宙SFの到達点を前提としている。すなわち、高度に自律的なロボットが活躍する場があるとすれば、通信の時差が無視できないほど大きく、宇宙線による被爆など自然人の生存にとってきわめて厳しい環境である深宇宙なのではないか、という考えである。また近年の宇宙SFは、「従来の人間の枠から逸脱したものへと変容することによって宇宙へと進出する人類、宇宙という外界で他者に出会うのではなく、自らが異質な他者へと変貌する人類を描くように」(p100)なっている。

こうした前提のうえで本書は、アシモフの「ロボット=帝国サーガ」が最後に到達した人類の未来の二つの選択肢についての問いを、「ガイア=ガラクシア」(双方向通信に基づいた高密度ネットワーク社会の極限、光速度の限界から空間スケールは一惑星周辺に限られる)か、「銀河帝国」(緩やかな多元的低速ネットワーク社会の極限、銀河系規模に展開しうる)か、と読みかえる。

著者自身の指向はわりと明快で、「最大多数の最大幸福」という功利主義的立場から、そしてまた、管理社会への抵抗と人類社会における多様性の確保という観点から、現代的な概念として読みかえた「銀河帝国」は必要だと結論する。

興味深いことに、公式二次創作たる新ファウンデーションシリーズの最終巻「ファウンデーションの勝利」も同様な問いに対して、「ファウンデーションが.....ギャラクシアをすばらしい恩寵として考え、自分たちの文化に吸収し、その先へ進んでいくかもしれない.....なんらかのかたちで、人間性と多様性は維持されるはずだ」(文庫版「ファウンデーションの勝利」、下巻p284)と答えようとしている。そのうえで「ファウンデーションの勝利」末尾の年表を読むと、SFファンとしてわくわくしてくる。

本書の問いを、世界史・人類史的な観点、

グローバル化・気候変化・疫病大流行:「世界史B」東京書籍 - myzyyの日記

ホモ・サピエンスの大拡散:「サピエンス日本上陸」海部陽介 - myzyyの日記

から見ると、「世界の一体化」(グローバル化)か、「大拡散」か、と読みかえることができるように思う。数十万年前にアフリカに出現したホモ・サピエンスは世界中に大拡散したのであるが、未来のホモ・サピエンスの末裔(ロボットであれ、ポストヒューマンであれ)はさらに深宇宙へと大拡散するのではないか、そんな予感がするのである。