中期ビザンツ帝国の実像を活写:「ビザンツ帝国」中谷功治

ビザンツ帝国-千年の興亡と皇帝たち (中公新書)

ビザンツ帝国-千年の興亡と皇帝たち (中公新書)

  • 作者:中谷 功治
  • 発売日: 2020/06/22
  • メディア: 新書
 

 「ビザンツ帝国」は、古代ローマ帝国の東半分を引きついで、西半分が5世紀半ばに消滅した後も千年にわたる歴史を東地中海に刻むことになった。本書は「ビザンツ帝国」の皇帝たちの事績を中心にその歴史を解説している。同様な一般向けの通史として、「生き残った帝国ビザンティン」(井上浩一、1990年)がありこれも面白いが、本書は最近の知見も合わせてもっと詳しく解説してくれており、知識のアップデートになる。

本書の特徴は、「ビザンツ帝国」の長い歴史のうち、著者の専門である中期(7世紀~12世紀)の歴史に焦点を当てているところである。中期こそ、「ビザンツ帝国」が古代ローマ帝国の伝統にこだわりつつも新しい国家に生まれ変わり、地中海有数の強国として強烈な存在感をはなった最も魅力的な時代なのである。

本書を読むと、8世紀から9世紀までのビザンツ史における「暗黒時代」においてはイスラム勢力など外敵の侵入が相次いでおり、首都コンスタンティノープルからの中央集権による地方支配は瓦解していたことがわかる。この期間、「ビザンツ帝国」は「テマ」(軍管区)毎の各地方政権に事実上分裂し、「テマ」の反乱も頻発している。

興味深いのは、各「テマ」は最終的に完全に帝国から独立することはせず、「テマ」将軍たちはあくまで首都の帝位を求めて争ったのであり、「テマ」は外敵の侵入に対しては国防の役割をしっかりと果していたのである。

同じ時期に起こった有名な「聖像破壊論争」(イコノクラスム)については、文字資料や物的資料の多角的な検討という現代史学の方法論によってその実態について慎重に検討しており興味深い。その結果「暗黒時代」は「イコノクラスム」の時代というよりは「テマ」の反乱時代であったと結論づけている。

これらの反乱を含めた帝国の活力の源は、主としてアナトリアの「テマ」軍団たちであり、「暗黒時代」にはこれらの「テマ」軍団がバルカン半島、ペレボネソス半島の再征服活動にも動員されていた。本書で最も面白いのは、この間の経緯を詳しく述べている第三章である。帝国が混乱期を経て新しい発展を開始するに至る時代の雰囲気がよくわかる。

その後10世紀に入ると、「テマ」の大反乱もなくなり、「テマ」自体が細分化されて中央政権による支配も再び強固になる。首都の政権は比較的安定し、多様な文芸活動が復興してくる。バシレイオス2世の時代には宿敵の(第一次)ブルガリア王国を滅ぼしてバルカン半島の支配をドナウ川まで拡大し、帝国は地中海の強国として復活するのである。

バシレイオス2世時代以降、帝国の地方支配が弛緩しトルコ人の進出などにより帝国は解体の危機にさらされるが、地方の軍事貴族の代表であるコムネノス家の軍事的成功によってさらに100年ほどの命脈を保つ。しかし、コムネノス家が始めた「プロノイア」と呼ばれるいわば領土分割政策によって、帝国の活力源であった首都と地方の結びつきが失われ、十字軍による首都陥落によって1204年に帝国は事実上滅亡する。本書ではその後のビザンツ系残存勢力の動きはあくまで後日談に過ぎず、東地中海地域の政治的統一というビザンツ帝国の歴史的役割を継ぐのはオスマン帝国であるとして本書を閉じている。