「である」ことの価値:「日本の思想」丸山真男

 

日本の思想 (岩波新書)

日本の思想 (岩波新書)

 

岩波新書「日本の思想」には、論説文体の2編に加え講演から書きおこした文章が2編収められていてこちらはより親しみやすい。特に「「である」ことと「する」こと」は昔から人気がある一文である。

昔、この文章を読んだときは、自由な民主主義社会においては社会の様々な制度や認められた権利を固定したものとして安易に前提とせず、そのあり方を不断に問い続けるという「する」ことの価値が重要であると書いてあるとしか読みとれなかったように思う。今読んでみると「である」ことと「する」ことのそれぞれが大事な局面があり、両者の混同(倒錯)を問題にするという趣旨があったとわかる。

著者は「である」ことの価値が大事な例として芸術や文化をとりあげており、「である」ことの価値に基づいた「ラディカル(根底的)な精神的貴族主義」が「する」ことの価値に基づく「ラディカルな民主主義」と内面的に結びつくことが要求されているとしてこの一文を終えている。

今、「である」ことの価値について改めて考える。「する」ことではなく「である」ことの価値は、著者の言う「精神的貴族主義」よりもっとシンプルなところにあるのではないだろうか。例えば、たんに「日本国民である」ことや「アメリカ国民である」ことについてもっと価値を認めてもよいのではないだろうか。

今回のアメリカ大統領選挙トランプ大統領に投票した七千万を超える人々は「アメリカ国民である」ことにより重きを置いているようにみえる。「である」ことで充足する生活のあり方がもっと認められてもよいのではないだろうか。そのための社会の前提は、社会に経済的な余裕があること、とくに十分に経済成長していることだと思う。実際、トランプ大統領の経済政策は成長重視、雇用重視である。

「する」ことが自由な民主主義体制を維持発展させるために重要であることは、本書に述べられているとおりだ。それでも、「である」ことで幸せに生活することへの希望や願いはもっと重く考えられるべきだと思う。トランプ大統領がこのまま退場したとしてもアメリカではそうした人々の願いは強まりこそすれ弱まることはないだろう。たぶんここ日本においても。