史料が拓いた近現代史学の転換:「歴史と私」伊藤隆

 

 いまから半世紀以上前、国内の歴史学とりわけ近現代史は、皇国史観、そしてマルクス主義史観の影響を強く受けていたが、本書の著者である伊藤隆氏をはじめとする多くの歴史学者の努力によって、多角的な史料の分析に基づく実証的な学問になったと言ってよいと思う。

本書でもっとも興味をひかれるのは、昭和ファシズム論争(第5章)から近衛新体制の実態(第6章)、戦前・戦中・戦後の政治史の連続性(第7章)について触れているところだ。満州事変(1931年)、日中戦争(1937-1941)、アジア・太平洋戦争(1941-1945)に至る15年間の日本の政治が「ファシズム」勢力に支配されていたという考え方がかつてあった。

 1970年代以降、伊藤隆氏をはじめとする研究者たちが史料から明らかにしたことは少なくとも1937年の日中戦争に至る前までは右派も左派も含む多様な政治勢力が主導権を求めて活発に動いていたという事実である。1937年に日中戦争が起こると一気に戦時体制に突入し状況は一変する。その後危機を打開すべく「新体制運動」が起きるがこれについて伊藤隆氏が明らかにしたのは、「ファシズム」を党による国家の支配、政治による経済の支配を中核とする新しい体制を目指す、別な言葉でいえば全体主義を意味するものであったとするならば、それに最も近いものをめざしたのは新体制運動を推進した「革新」派であった」(本書、P117)ことだった。

結局、新体制運動は挫折し日本で「ファシズム」が確立することはなかった。新体制運動を推進した近衛文麿は、戦争が進むにつれて「革新」派の正体に気づき1945年2月の「近衛上奏文」によって「「革新」派に利用された自分の不明を恥じ、「革新」派は共産主義者(赤)であり、彼らこそが世界を共産主義化するために戦争をここまで引っ張ってきたと自己批判する」(p124)。「革新」派の流れは戦後も続き、戦後の社会経済体制に影響を及ぼし、「革新」政党とよばれた政党の運動にもつながっていく。 伊藤隆氏の研究人生は共産主義への対峙としてはじまったが、ソ連の消滅(1990年)、日本共産党の規約変更(2000年)に至って一区切りを迎えることになったと述懐している(p140)。

今まで、板野潤治氏、加藤陽子氏、雨宮昭一氏の著作を読むことで戦争前後の国内政治に対する新たな理解を得られていたように感じていたが、本書を読むと伊藤隆氏が彼らの研究人生と深い関わりを持っていたことがうかがえて興味深い。

現在の日本史教科書の記載をみても戦前の新体制運動のありかたについて伊藤隆氏らの研究成果が定説になっているといえそうだ。

「一国一党は天皇統治権に抵触するという批判が強まったため、大政翼賛会は政治には関与せず、戦争や経済統制などの国策に、全国民が協力するようはたらきかける上意下達の機関と位置づけられた。」(新選日本史B 東京書籍 2018年検定済)

気になるのは本書で伊藤隆氏も注意しているように日本社会における「戦時体制イコールファシズムではない」(p117)のあり方である。今日の新型コロナウィルス流行への対応もかつての「戦時体制」のように、あまりに多くの社会制度・慣習が深い思慮なく機械的に変更されていくことのように思えてならない。