三好・織田・羽柴時代という画期:「三好一族」天野忠幸

三好一族―戦国最初の「天下人」 (中公新書)

これまで京都を中心とする畿内の戦国政治史は、織田信長の上洛以前までは混沌としていて、分裂した足利将軍家や細川家の内輪の権力争いに終始しているという印象があった。ある本では、畿内戦国史の主役は退廃した(?)武将たちの争いよりもむしろ自治を進めた一向一揆法華一揆、京都、堺の町衆や惣村などであるとした記述を見かけることもあった。

本書は、織田信長の上洛に先がけて京都においてはじめて足利将軍を推戴しない政権を樹立した三好一族に焦点をあてた畿内戦国史である。応仁の乱前後から徳川時代が始まるあたりまでを扱っている。混沌とした畿内戦国史であるが、細川政元の暗殺(1507年)から江口の戦い(1549年)に至り、足利将軍家細川京兆家の分裂が一応収束したあたりから三好長慶を軸として次の時代への模索が始まると考えると面白い。

本書を読んで面白いと思うところは随所に出てくる。まず、最初に活躍する三好之長が、京都近郊で一揆を募って戦力化するのに長けていたというのが面白い。三好一族が畿内の戦争を勝ち抜いて中央政権を樹立するに至った最大の理由は卓越した軍事力であり、その起源はこのあたりにあるのかと思わされる。

本書は織田信長上洛以後の畿内情勢を三好一族の側から描いており、見え方が新鮮である。信長と足利義昭の関係も三好一族という補助線を加えると、思っていたより複雑に見える。これまで下剋上の典型であるかのような言われ方をされていた松永久秀の行動も一貫して三好本宗家を支えていたように捉えることができ、興味深い。三好長慶死後の三好一族は分裂を重ね弱体化する一方であったかと思っていたが、元亀・天正の争乱では分裂を解消し当主の三好義継を中心に信長や義昭と対決するまでに勢いを取り戻している。西の毛利氏や東の武田氏との連携などもうまく行っていたらと思うと、歴史のいろいろな可能性に思いをはせてしまう。織田氏は結果として三好氏の覇権を打倒したのであって、戦国大名としてより進歩(?)しているから打倒できたということはないのだ。

三好氏も織田氏足利将軍家を頂点とする武家の旧い支配秩序をつくりかえるには至らなかったが、羽柴秀吉は関白として明確にそれまでとは異なる支配秩序を創出し、時代がまたひとつ転回する。本書ではその後の新しい時代を生き抜く三好氏の足どりも描いていて興味深い。

渡辺京二氏が説くように、「領主は所領内の平和・安全を維持する義務があるという、社会一般にひろく根を張った政治思想こそ、戦国大名の出現をうながす強力な動機であった」(「日本近世の起源」新書版p286)。本書にあるように「近世社会の基本的な単位となる町や村の共同体を対象とした裁判や支配を、三好一族が行っていた」(本書p201)のであり、その意味で、畿内という政治的中心地において旧秩序と対決し戦国大名として新しい時代の要請を担ったといえる三好一族の事績をみるとき、「三好・織田・羽柴時代」(同p201)という時代区分の提案は十分に説得力をもつように思う。