かつて「批評家」であった柄谷行人は、いつの間にか「哲学者」と名乗るようになり、独自の「交換様式」に基づく理論による一貫した歴史観を語るようになっていた。本書は、交換様式によって「帝国」をはじめとする様々な国家の成り立ちを解明することに焦点を当てる内容となっている。
交換様式とは、社会における様々なコミュニケーションのあり方を特徴づける概念であり、経済・政治・文化活動のすべてを通底する。四つの異なる交換様式A、B、C、Dがあり、これらは歴史的な発展段階というものではなく、今日まで同時並行的に現われている。標語的には、Aは贈与と返礼、Bは服従と保護、Cは商品と貨幣の交換とされる。Dは、AがBやCによって解体された後に「高次元」でのAの回復とみなされる交換様式であり、難解である。
近代以降、全世界を覆う資本主義は、交換様式Cに基づくものであり、そこでは主権国家が、資本主義の作動に伴って現れる。主権国家どうしは本質的に平等であるが、強大な「ヘゲモニー国家」がたびたび登場して、他の国家を制圧しつつ貿易の自由化など様々な自由主義的政策を進める。ヘゲモニー国家が衰退すると、主権国家どうしの争いが活発化する「帝国主義」の様相が強まる。
本書は、近代以前にあらわれた「帝国」について詳しく述べている。帝国は国家を超える組織であり、交換様式Bにしたがって構成国家どうしの関係に係わる「国際法」を守らせるように働く。国際法は、交換様式Cにもとづく帝国内部での交通や交易の安全を確保するように定められる。帝国を統合するため、国家固有の宗教・言語を超える「世界宗教」や「世界言語」がある。世界宗教は、最初は交換様式Dにもとづく「普遍宗教」としてあらわれる。「帝国」は、主権国家が広域に影響力を及ぼそうとする「帝国主義」とは異なることに注意するべきである。
本書によれば現代は、アメリカというヘゲモニー国家の衰退とともに主権国家どうしの紛争が頻発する帝国主義の時代である。東アジアでは、アメリカのヘゲモニーが確立する前の帝国主義時代に起きた日清戦争をもたらしたような状況がいま反復していると著者は見る。また、ウクライナしかり、中東しかり、あちらこちらで紛争が拡大しつつあるように見える。アメリカでも従来とは異なるレベルで「アメリカ第一主義」を標ぼうする政権が登場するかもしれず、帝国主義的状況はより一層強まることが予想される。そのいきつく先は「世界戦争」であるかもしれないが、本当なのか。。
本書は、中国滞在時に行われた著者の講義録がもとになっているが、中国に対しては「帝国」の再構築が必要であると言っている点が興味深い。そして歴史的には中国における帝国の正統性は、経済発展と社会的平等という相矛盾する指向によって成り立っているとする。現在の中国がその両者の間で常に揺れ動いていることを鑑みると、「帝国」の再構築は困難であるように思う。結局「帝国主義」に終始してしまうのではないだろうか。
現代の「帝国主義」時代にあって、日本はどのように振る舞っていくべきだろうか。現状では、少なくとも東アジアにおいては、弱りつつあるアメリカのヘゲモニーを肩代わりする方向に動きつつあるように見える。それはやむを得ないことであろうが、一方で日本が独自に果たす積極的な役割があるのではないかと思う。
それは安倍晋三氏が唱えた「積極的平和主義」と言ってしまってもよい。著者が言うところの「憲法九条」の普遍化と、「積極的平和主義」は同じものだと言ってしまいたくなる。例えば、現在日本が、台湾や東南アジア諸国に対して行っている海上保安活動の支援は、憲法九条の精神に基づく「積極的平和主義」活動であると思う。
「ある強力で啓蒙された民族が一共和国(共和国は、その本性上、必然平和を好むが)を形成することができたら、この共和国がほかの諸国家に対して連合的結合のかなめの役をはたすからで、その諸国家はその結合に加盟し、こうして諸国家の自由な状態は国際法の理念に即して保障され、連合はその種の多くの結合を通じて次第に遠くにまで拡がっていくのである(「永遠平和のために」)。(本書文庫版、p247)」
この「連合的結合」は「自由で開かれたインド太平洋」である、と言ってしまいたくなる。