「対外危機」が国内の民主化を圧殺した:「昭和史の決定的瞬間」 坂野潤治

昭和史の決定的瞬間 (ちくま新書)

昭和史の決定的瞬間 (ちくま新書)

歴史家、坂野潤治は、「日本近代史」を頂点とする一連の著作において、満州事変(1931年)前後からアジア・太平洋戦争での敗北(1945年)に至るいわゆる「15年戦争」時代があたかもその間は軍部独裁一色であったというような通念を退け、天皇重臣、軍部、既成政党、新興社会主義勢力が、政治の主導権把握を目指してそれぞれ主体的に活動していた状況を明らかにした。

本書では、2.26事件(1936年)から日中全面戦争突入(1937年)に至る約1年半の政治状況を詳しく調べている。1932年に起きた5.15事件の後に政党内閣が挫折した後であるにもかかわらず、2回の総選挙(1936年2月、1937年4月)が果たした積極的な役割を分析し、これに関連させて当時の識者による同時代の政治分析を詳しく参照する、という独創的な分析手法が威力を発揮している。

本書によれば、1937年4月に行われた日中戦争直前の総選挙では、既成政党(政友会と民政党)がその勢力をもちこたえるとともに、社会大衆党社会民主主義的な主張を強めることで支持を得て議席を倍増させ、社会大衆党よりさらに左寄りの政治構想を有し、軍部暴走に反対する「人民戦線」派の政党も議席を獲得した。一方で軍部を基盤とする林銑十郎内閣の与党は議席を減らしていた。日中戦争直前は、軍部暴走に反対する各政治勢力の活動はきわめて活発であり、実際に民意の支持を得ていて、この意味では「民主化」が進行していた。また、これらの政治勢力に、当時弾圧されていた共産党を加えればそのまま1945年以降の戦後民主主義を担った勢力となってしまうのである。

しかし、1937年7月に起きた盧溝橋事件をきっかけとして日中が全面戦争に突入した後は、すべてが一変してしまう。戦争前に自由に活動できていた人民戦線派は弾圧されてしまい、当時の識者はその後に続く世界戦争を予感する。まさに「「眼の前の対中全面戦争」は、国内の民主化を圧殺した」(本書、p216)。そして、来たる「八年間の総力戦時代を前にしては、自由主義者社会民主主義者も、いったん鉾を納めなければならなくなった」(本書、p219)のである。

こうした経緯は、当時それなりの民主主義国家であった日本が、なぜ対外戦争によって破滅してしまったのかという疑問に、一定の理解を与えてくれると思う。ひるがえって現在、再び日本の周辺で深刻な対外危機が起きる予感がある。そのとき、2017年の日本国は、1937年の大日本帝国より適切に対外危機に対応できるだろうか。対外危機をうまくさばいて国内の政治社会を安定させ、念願のデフレ脱却を達成できるのだろうか。そして2017年10月22日に予定されている総選挙は、どのような役割を果たすことになるのだろうか。まさに「平成史の決定的瞬間」が近づいているように思えてならない。