宇宙にとって知性とは何か:「SF魂」 小松左京

SF魂 (新潮新書)

SF魂 (新潮新書)

小松左京が晩年近くの2006年に、「語り下ろし」という形で本書を書いている。小松左京の作家生活の全体がわかりやすく書かれていて、往年の熱心な読者であった私は、とても興味深く読んだ。

小松左京のもっとも面白いと思うSF小説、特に短編SFは、1970年代の後半から1980年代の初めにかけて書かれたと思っている(翻訳家の中村融氏も同様な指摘をしている)。本書を読むと、大阪万博(1970年)への参画や、「日本沈没」のベストセラー(1973年)を経て、テレビ番組の海外大型取材など活動の幅が広がって、その効果が良い意味で創作に反映されていたということがわかる。この時代に書かれた、「お糸」(1975年)、「岬にて」にはじまる「ゴルディアスの結び目」4部作(1975−1977年)、「飢えなかった男」(1976年)、「アメリカの壁」(1977年)、「眠りと旅と夢」(1978年)、「華やかな兵器」(1979年)、「氷の下の暗い顔」(1980年)と、傑作が目白押しになっている。どの作品も、スケールが大きく、アイディアが洗練されていて、スタイリッシュに書かれている。本書によれば、この時代の作品群は本人にとってもお気に入りとのことである。

これらの短編創作はしかし、「花型星雲」(1981年)あたりで唐突に終わりを告げるようにみえる。本書によれば、映画「さよならジュピター」(1984年)の制作や、つくば科学博(1985年)、大阪花博(1990年)への参画が続き、活動の幅が広がりすぎて「歳を重ねて、浮世の義理が頂点に達していた」(本書、p156)ために、創作の余裕が無くなってしまったようだ。長編では、「さよならジュピター」(1982年)、「首都消失」(1985年)、「虚無回廊」(1986-87年、1991-92年連載、その後中断)が書かれているものの、阪神大震災(1995年)の影響もあって、その後創作はほとんど途絶えてしまう。

いま改めて「花型星雲」を読み返してみて、「宇宙にとって知性とは何か」(本書、p165)という問いに対して、この作品が最後にたどりついた小松左京の解答だと思うと感慨深い。これを読んだ当時は、あくまでその時点での「スケッチであり、フィールドノートだ」(本書、p171)と思い次の作品を心待ちにしていたのだが、結局こうであったか、と思うとなんともいえない気持ちになる。

この後80年代にはブルース・スターリングが登場し、90年代にはグレッグ・イーガンが登場するとともに、「宇宙にとって知性とは何か」、という問いには、小松左京のものとは異なるまったく新たな視点での解答が出てきた、と思った。背景となる科学知識についても、小松左京が興味をもっていた宇宙論に加えこの間、認知科学生命科学の発展が著しい。

小松左京は2011年に没し、彼の人生は「現実的結末」(果てしなき流れの果に)を迎えたが、その後も着々と私たちは未来への道をたどっている。小松左京が残した作品群は、「宇宙にとって知性とは何か」という尽きない問いに対する果敢な挑戦の記念碑として、永遠に記憶しておきたいと思う。