尽きせぬ問い:「継ぐのは誰か」 小松左京

現生人類とは異なる人類進化のあり方をテーマにした、小松左京の代表的長編SF小説である。初出の雑誌連載は1968年なので、半世紀前に書かれたものだ。自分が初めて読んだのは1982年頃だが、そのときは書いてあることすべてが新鮮で格好良くて、面白さに興奮して一気に読んだ。小松左京自身には未来予測の意図はさほど無かっただろうが、どうしても「21世紀には」と書かれている記載の内容を、2018年現在の様子と比べたくなる。

小説では、国家間の戦争が無くなるとともに世界連邦が作られている。そうした国際間の連携が進むとともに、国際犯罪組織の統合も進むという着想が面白い。そして犯罪がなくならない理由は、「犯罪は、生物自体に本質的な自由と、力とに深く関係している」(旧ハヤカワ文庫版、p92)からだという。現代では、いわゆる「グローバル化」が進むとともに、様々な「過激主義」の国際組織が成長している。「過激主義」の根拠となる思想は、宗教や、左派、右派の各思想の内容を問わず、要は、自由や力をめぐる人々のある種の欲望を十分に満足させる理由づけを与えるものであればよいのだ。作中で出てくるGlobal Crime Trust は、現代のISを思い起こさせる。作中で世界連邦科学警察のサーリネン局長が行ったという「長期の社会政策に属する」ような「”転換”と”役割付け”」を行わない限り、IS的なるものは常に復活するだろうと思わせる。また小説で描かれている「二十世紀末になって完成した、”世界コンピュータ・ネットワーク”」(同、p279)は、現代のインターネットそのものであることは言うまでもない。

小説で提起される、「人類は完全じゃない」(同、p8)とか、「−人類は果して、地球上の「最終王朝」か?」(同、p149)といった話題は、現代的な進化論に基づいた社会生物学などの知見をふまえると、もはやあまり意味のない問いであるように思われてくる。これに対し、同じ作中で言われている「科学そのものにとって、人類は、地球上に新生代第三期以降にあらわれた、体毛のすくない、直立二足歩行性の、大脳前頭葉のいちじるしく発達した、霊長類の一変種にすぎない」(同、p170)というみかたは、今でもまったく変わらない。

これに関連した興味深い議論として、「現在の人類の世界の状態」を端的にあらわしているとされる「」の立場と「知性」の立場がある(同、p175)。このうち「知性」の立場は不思議だ。「科学は、人類の滅亡をすくうために、人肌ぬいだりしませんよ」(同、p170)というのだから。そんなものをなぜ人類が獲得したというのか。まして、さらに言われるところの「」(人類愛ではない!)の立場となると、まったくわからないでいる。小松左京の残した尽きせぬ問いのひとつとして、これからも心に留めおいていきたいと思う。