「一君万民」と「人つなぎ」の間で:「江南の発展」丸橋充拓

 

江南の発展: 南宋まで (岩波新書)

江南の発展: 南宋まで (岩波新書)

ひとくちに中国といってもその範囲は広大である。現在の中華人民共和国が支配している領域はヨーロッパ全体に匹敵するほどであり、その中の各地方がたどってきた歴史も多様である。中国大陸の中心部は主に漢民族が住んでいるが、これを大きく黄河周辺(中原)と長江周辺に分け、後者を「江南」として特徴づけ13世紀の南宋滅亡まで歴史をたどるのが本書である。

江南の地は古代から楚・呉・越などの国々の故地であり中原に対して独自性を保ち未開拓の領域も広かったが、4世紀になって中原が異民族の侵入によって混乱するとこれを逃れて南下してきた人々の手によって従来にない規模での開発が始まる。10世紀の「唐宋変革」(本書 p103)時代には中原と江南の人口比が逆転し、巨大な生産力によって中原の経済を支えるようになる。

「唐宋変革」は、中原でつくられ江南にまで及んだ「古典国制」(p25)が標榜する専制支配体制である「一君万民」(xii)が変質していく方向を決定づけた社会変動であった。「唐宋変革」では皇帝独裁体制が強化されるもののそれは政府組織の中だけのことであって、兵制の面(府兵制から募兵制へ)からいっても税制の面(均田・租調役制から両税法へ)からいっても政府組織が個人個人を把握する度合いは弱まるのである。

その影響が強く現れた江南では、本書で言うところの「幇の関係」(xiv)という人つなぎの論理が社会に浸透していき、きわめて社会的流動性の高い社会となっていく。「幇の関係」は個人的信頼に基づく非公式な人間関係であり、これと「一君万民」のせめぎあいが現代にいたるまでの中国史を特徴づけているといえる。

中国では個人個人の行動様式を規制する中間団体が弱く個人的信頼に基づく「幇の関係」が重視されるという。個人は中間団体に保護されることもないかわりに「村八分」的なことも起こりにくいわけで、現代の独裁国家による支配という外見とは裏腹に普段の生活レベルではむしろ自由にふるまっているということだろうか。

本書が第二巻となる新しい中国の歴史シリーズはすべて面白く全巻夢中で読んでしまった。「一君万民」と「幇の関係」の対比も面白いが、中国を「中原」「中華」だけではなく、北方の馬の世界と南方の船の世界がぶつかりあうところとしてとらえるという視点も刺激的である。本書で最初に出てくる12世紀の歴史地図(iv)が鮮烈な印象を与える。さらに地図を南北にひっくりかえしてみると、船の世界としての中国が海へ出ていくにあたって南シナ海がしごく自然な出口になっていることがよくわかるのである。

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