中国「古典国制」のはじまり:「中華の成立」渡辺信一郎

 

中華の成立: 唐代まで (岩波新書)

中華の成立: 唐代まで (岩波新書)

 

二千年まえに漢王朝を簒奪した王莽は、儒学に基づいて今日までに至る「中華帝国」の模範となる国制を形作り、これはその後「漢魏の法」として完成された。本書の著者はこれを中国の「古典国制」と呼んでいる。「古典国制」は、一人の皇帝が残りの人々すべてを支配する体制である。もともと紀元前3-4世紀に中国華北で確立した、農民の小家族が政府から給付された田畑を耕し生計をたてるとともに、建前として皆が等しく租税、賦役、兵役をまかなうという社会(「耕戦の士」)が基盤となっていた。

「古典国制」と「耕戦の士」の社会は、4世紀に戦乱で華北が荒廃し漢人華北から逃散したためいったん崩壊するが、代わりに移住してきた北方遊牧民と残った漢人の融合により再建される。隋唐帝国の時代である。

唐帝国時代の半ばで「耕戦の士」は名実ともに維持することができなくなり、貧富の格差と兵農分離を前提とした社会に移行していく。これが「唐宋変革」の内実であることが、第二巻を合わせ読むとよくわかるようになっている。また、続けて第三巻を読むと唐帝国の領域拡大は伝統的な「耕戦の士」によるものではなく、北方遊牧民の戦力によるものであったことがわかってくる。また現代に至るまで「古典国制」への指向が形を変え品を変えて政治史に現れてくる様子が岩波新書「中国の歴史」シリーズの各巻で描かれている。本巻がこのシリーズの最初にある意味は、後の巻を読めば読むほどわかってくるように思う。