中国は「近くて遠い国」(本書、i)である。最近は多くの中国人が日本にやってきて勉強したり働いたりするようになった。身近にもそのような人たちが数多くいる。ほとんどの人たちは日本語も流暢に話し、姿かたちも日本人と変わらないので、何となく彼らの故郷の中国本土も日本と同じような感じがしてしまう。中国に行っても都会は日本と変わらない雰囲気だ。
しかし実際の中国はとても広く、様々に異なる文化、言語をもった人々が住んでいる。それ自体ひとつの巨大な世界である。それなのに、中国の歴史は、紀元前の秦漢に始まる巨大な中華帝国による一元的な専制支配がずっと続いてきて、現代の中華人民共和国に至っているように思ってしまう。
本書が4巻目となるシリーズ「中国の歴史」は広大な中国の歴史を、多元的な世界の広がりと中華への一体化とのせめぎあいとして捉え、最新の知見を盛り込んでたんなる王朝交代の歴史ではなく斬新な歴史区分で捉えていて大変面白い。しかし本書だけは、一王朝である明帝国の興亡に焦点を当てたユニークな構成になっている。
というのは、明帝国が、「①中華と夷荻の抗争、②中国史を貫く華北と江南の南北の対立、③草原を含む大陸中国と東南沿海の海洋中国の相克。」(本書、vii)の軋轢が頂点に達した「14世紀の危機」(本書、v)の結果として成立した王朝であり、前の1-3巻で示されたこれらの視点の総決算であるといえるからである。
総決算はしかし、「明初体制」(本書、vi)と呼ばれる硬直的な専制支配の体制確立という形でなされることになった。明初体制は「14世紀の危機」で荒廃した国土と社会を再建する緊急対応としての役割を果たしたが、復興のあとは次第に弛緩していき、「17世紀の危機」(本書、v)により崩壊することになる。
明末の混乱は、広大な国土に住む人々の実際の多様な生活と専制支配体制の決定的な乖離として現れ、その後の清王朝によって一時収拾されるものの、18世紀の人口爆発を経た清末に至って外国勢力の介入を伴ったさらにスケールの大きな混乱に至る。清末の混乱は中国共産党による閉鎖的な体制確立によって収拾されたが、その後の経済開放を経て再び混乱の予兆が現れているように感じられる。
中国出身の知人に聞くと、中国政府(共産党)は相変わらず雲の「上」の存在であるが、それに比べれば日本政府は行政サービスを提供する存在として「下」にあるように感じられるほどだという。上からの支配と下々の生活の決定的な乖離という明末の課題は清末に持ち越されたが、さらに現代にまで持ち越されているということなのだろうか。