気候変化が動かす世界史:「世界史序説」岡本隆司

世界史序説 (ちくま新書)

世界史序説 (ちくま新書)

これまでの「世界史」は、事実上「西洋史」であった。日本の東洋史(アジア史)研究者は、西洋史の概念を用いて東洋史を解釈しようとしてきた。しかし、東洋史研究における、一次史料に即した個別研究のおびただしい成果は、西洋史の概念を東洋史に援用することが不可能であることを示すに至った。本書は、こうした状況を熟知する東洋史の研究者が、アジア史の立場から世界史の枠組みをつくりなおそうとする、きわめて意欲的かつ挑戦的な取り組みである。

本書はまず、古代文明が、遊牧・商業・農業が交錯する地であるオリエントで誕生し、中央ユーラシアを介して東アジア、インドなどに伝播していったと指摘する。遊牧・商業・農業の交錯はアジア史では全時代を通じ共通してみられる特徴であり、13-14世紀のモンゴル帝国によってユーラシアの主要部が統一されるとともにひとつの完成した姿をみせる。この後に世界史の舞台に登場した近代西欧文明は異なる文明原理を有しており、近代西欧文明による世界制覇とともに今日に至るとする。

本書には興味深い論点が数多くあるが、まずもって注目すべき点が、気候変化が世界史を動かしている、という視点である。3-5世紀に生じた古代文明の崩壊は、その当時始まった寒冷化(暗黒時代寒冷期; Dark Age Cold Period)が大きな原因となっており、モンゴル帝国の登場に至る中央ユーラシア遊牧民の活発な動きは、11世紀に最も顕著になる温暖化(中世温暖期; Medieval Warm Period)に伴う草原の拡大と軌を一にしている。モンゴル文明は再びやってきた寒冷化(14世紀の危機)とともに崩壊し、この寒冷化は小氷河期(Little Ice Age)といわれ17世紀に最も強くなる。小氷河期に中央ユーラシアを介した交易は衰退するが、この時期にちょうど西欧がアメリカ大陸を海上交易に導入し発展させる(環大西洋革命)。西欧は、続く産業革命・科学革命・軍事革命によって世界史を一変させ今日の世界を産み出す。

面白いのは、寒冷化では相対的に南側のオリエント(ユーラシアの東側では中国江南地方)が優勢になるという事実である。実際、4-5世紀の寒冷化によってローマ帝国の西半部が衰退した後6世紀には、オリエントに生き残った東半部(東ローマ帝国)とその東にあるサーサーン朝ペルシアがともに周辺に拡大を始め、この動きは7世紀以降のイスラム帝国によるオリエントの再統一によってさらに加速されると解釈できる。中国では北方遊牧民の軍事力が豊かな江南と結合することで成立した唐帝国が拡大発展する。

中世温暖化においては北方の中央ユーラシア遊牧民が優勢となり、辺境にあった西欧文明が独自の発展をみせ十字軍にみられるようにオリエントを多少脅かすくらいには勢力を強めるが、再び始まった寒冷化に伴う14世紀の危機によって衰退する。小氷河期には、オリエントで東ローマ帝国の後継者といえるオスマン帝国とサファビー朝ペルシアや、中国江南地方から出た明帝国が栄える。

過去2000年間でみられた、暗黒時代寒冷期->中世温暖期->小氷河期->現代温暖期のパターンは、様々な観測データを組み合わせて推定した北半球の平均水温の推移に明確にみられる(図)。気候変化の原因は、基本的には太陽や火山の活動などによる自然現象であるが、最近の急速な温暖化は人間活動の拡大に伴う二酸化炭素排出の急増によるものだ(地球温暖化; Global Warming)。

これまでの世界史の推移をふりかえると、現代の地球温暖化が与える世界史的な影響は、とてつもなく大きいだろうと想像できる。ひとつ注目すべきことは、シリアをはじめとする様々な内戦で混乱するオリエントから脱出して北方の西欧に移動している膨大な難民の動きである。さらに最近、中米ホンジュラスの多くの難民が北方に移動を開始しているとのことである。こうした難民の動きは、おそらく温暖化による気候変化に伴い、これらの地域で農業生産をはじめとする様々な経済活動が不安定化していることと無関係ではないだろう。

本書は、今回とりあげた気候変化以外にも数多くの興味深い論点を含んでおり、大変刺激的な本である。近代西欧文明の登場によるインパクトの記述も大変面白いので、これについてはまた書きたい。