昭和の逆説:「維新の夢」 渡辺京二

わが国の基層生活民が十五年戦争を黙々として支持したのは、市民社会的現実からたえず剥離してゆく自分たちの欲求を戦争がみたしてくれるのではないかという幻想があったからである」(「維新の夢」、P52)

渡辺京二の史論集「維新の夢」で繰り返し論じられるのが、戦前の大日本帝国における近代天皇制をめぐる逆説だ。明治政府を作った支配エリートたちは、それまで村や町の共同体にしかなじみがなく、近代国家というものにまったく触れたことがなかった日本の民衆(「基層民」と渡辺京二は呼んでいる)を国家に統合するための擬制として、近代天皇制を創出した。支配エリートたちは、自分たちが作った明治国家を、議会に選ばれて出てくるようなブルジョアジー(当初は農村地主達)に任せるつもりは毛頭なく、形式上明治国家を著しく分権的なものとした。明治国家は、まずは内閣、衆議院貴族院、枢密院、軍部等の分立権力の割拠として特徴づけられるのである。支配エリート(元老)たちは、このような分立権力の背後においてその指導を「総攬」しようとした。彼らとその後継者たち(天皇重臣」グループ)は天皇に現実の国政上の決定権をもたせることをよしとせず、これを純粋に国家統合の「シムボル」とし続けることに心を砕いた。もっといえば、現実の昭和天皇本人が支配エリートとして天皇の機能をそのようにとらえていた。

しかし、国家が民衆の生活に浸透するにつれて、民衆自身のもつ近代国家への違和感は、排外主義的熱狂という形で噴出するようになる。北一輝などの右翼・軍幕僚(「中間イデオローグ」と渡辺京二は呼んでいる)は、明治憲法天皇制の規定を文字通り受け取り天皇親政を呼号することによって、こうした民衆の熱狂を排外主義的方向に煽動する役割を担った。支配エリートにとってこのような民衆の熱狂は理解不能であり、体制を転覆する革命への志向をはらむものと映る、恐怖の対象であった。アジア太平洋戦争に至る破綻は、こうした排外主義熱狂に背中を押されるように、最終的には、天皇重臣」グループが東条英機をはじめとする軍部と結合することによってもたらされた。そして戦後は、排外主義的熱狂が消滅し、日本において近代市民社会がようやく確立したととらえることができる。戦後30年が経過した1975年の時点で渡辺京二は、当時頻発していたアジア各国での反日暴動への対処において国がとった現実的な対応を評価し「今日の日本は、近代国家としての成熟のうえで内部的な疫病神であった対外硬のイデオロギーから解放された」(「維新の夢」、p12)としていた。

さて戦後70年近くが経過した2012年の日本は、依然として排外主義的熱狂から解放された近代市民社会が維持され、さらに発展しているものとして評価できるだろうか。筆者はそれを信じたいが、時々不安にかられることがある。日本人の意識にひそむ「土俗的土着的な生活意識の深層」が再び排外主義的熱狂によってそのエネルギーをくみあげられる日が、もしかしたら再びやってくるかもしれない、と。