「官僚」が主導する「構造改革」:「経済政策を歴史に学ぶ」 田中秀臣

経済政策を歴史に学ぶ [ソフトバンク新書]

経済政策を歴史に学ぶ [ソフトバンク新書]

いわゆる「リフレ」派の強力な論客として、過去十数年来、一貫してデフレ脱却による日本のマクロ経済安定化を訴え続けている著者が、小泉政権末期の2006年夏に、その後のありうべき日本の経済と社会の行く末を予言した好著である。本書は2001年から2006年まで5年以上に渡った小泉政権の経済政策をまとめ、前半は、「構造改革」と称する財政緊縮政策をとったものの、後半は、事実上の財政緊縮放棄と、為替・金融政策によるマクロ経済政策の組み合わせによって緩やかな景気回復を実現したとする。しかし、結局はデフレ脱却を確実としないまま、小泉政権末期の2006年に日本銀行量的緩和ゼロ金利政策を解除したことで、デフレ脱却への展望が開けなくなっているとし、その後の経済ショックなどによるデフレ悪化を予言している。案の定、2008年夏に生じた経済混乱(「リーマンショック」)によってデフレは悪化し、2012年の今日に至るまで経済の停滞が継続している。まさに著者の予言どおりの展開となっている。

なぜこんなことになってしまうのか? 本書は、経済思想史を丁寧にたどり、日本の経済政策に甚大な影響を与え続けている「構造改革主義」の潮流を抉りだすことで、この問題に対する興味深い視点を示している。本書は、標準的な経済政策としての「構造改革」とは「資源配分の効率化を通じて、経済の潜在的GDP(国民総生産)や潜在成長率の上昇に寄与することを目指す政策である」とする。「潜在的GDP」とは「労働・資本などの生産資源を完全に利用したときに実現される経済の大きさ」のことであり、「構造改革」は、「政府の不適切な規制や政策の歪み、制度の欠陥などの構造的要因を正すことで、資源の効率的な利用をするインセンティブを生み出すものである」。一方で、「景気変動」という「消費や投資などの総需要の自律的な変動によって、インフレ・ギャップ(総需要が総供給を上回る)とデフレ・ギャップ(総供給が総需要を上回る)が交互に繰り返される循環的現象」があり、現在の日本はデフレ・ギャップが拡大するデフレ不況に陥っている。デフレ不況は、「現実のGDP」が「潜在GDP」に到達していない状況であり、これを正すのが「マクロ経済政策」である。標準的な経済政策の割り当てとしては、構造的要因には構造改革、循環的要因にはマクロ経済政策を当てることが正しい。「構造改革主義」とは、標準的な経済学の知見を無視するかのように、景気変動の循環的な現象の解決のために構造改革を割り当てるべきであるという主張であり、小泉政権の初期にさかんに喧伝された「構造改革なくして景気回復なし」という政治スローガンに端的に示されているといえる。

本書の第4章「日本経済学の失敗」では、1930年代の笠信太郎三木清に始まり、都留重人高田保馬森嶋通夫に至る「構造改革主義」の潮流をとりあげている。そしてその終着点として、西部邁村上泰亮による、「専門人」の批判と、「官僚」の称揚にまで至るところが、最も興味深い。西部・村上的な「官僚」こそが長期停滞を打破する「構造改革」を実施する主体なのである。この「官僚」は、経済学者などの「専門人」が示す標準的な経済学の知見を無視する一方で、自らが指示する産業政策など「構造改革」の正当性は信じて疑わない。こうした考えが多少とも日本の現実の経済政策に影響を与えていると考えるのは、本書で明らかにされた、日本の経済学者の一部に一貫して通底する「構造改革主義」の潮流を考えると、かなり最もらしいことであると思えてくる。