財政赤字は悪なのか:「日本の財政」 田中秀明

日本の財政 (中公新書)

日本の財政 (中公新書)

際限のない財政支出の増大によるわが国の財政危機が叫ばれて、久しい。正月に帰省すると、初版が1981年となる「日曜日の日本経済読本」(日経新聞社編)という古い本を書棚に見かけ、それを手にとってみると一章が「財政危機を探る」となっており、財政赤字の削減の必要性が訴えられている。1980年代初頭から、実に30年以上にわたってずっと問題とされているわけである。

さて、2010年代の現在において、財政赤字の何が問題とされているのかを知るべく手にとったのが本書である。一読して、国の予算編成のあり方と海外諸国との違いをかなり詳しく知ることができる。本書によれば、国の財政の機能は、1) 資源配分、2) 所得再配分、3) 経済の安定化の三点である(p50)。財政赤字が問題となるのは、財政赤字の拡大->経常収支の悪化->自国通貨の暴落・信用低下->金利上昇(->政府債務の発散?)という経路がありうる(p63)からであり、さらに、民間の経済活力を奪ってしまう(クラウディング・アウト)からである(p66)。財政の機能のうち、資源配分は、市場の失敗が無い限りにおいて市場に任せておくことが最適なので、これは納得できる議論である。ただし、財政赤字の拡大が、自国通貨の暴落や金利の上昇をもたらすかどうかは必ずしも自明ではないが、本書にはそれ以上の説明はみあたらず、残念である。

ともあれ、本書では財政赤字をとりあえずの問題として、財政赤字の拡大をもたらす要因として、1) 予算決定主体が数多く存在すること、2) 財務省が政治家と密着しており、職員の専門性に欠けること、3) 名目上の財政支出抑制のため本予算が抑制される一方で、補正予算が乱発されるなど、予算のベースライン(出発点)と最終的な決算の検証に欠けること、があげられている。これを解決するために、公務員制度を再構築するとともに、財政責任法を作り、中長期的な枠組みのもとで財政赤字の制御(いわゆる財政再建)をはかっていくことが重要であると指摘している。

本書が言う、財政赤字をうまく制御することが重要であり、そのための手段として公務員制度再構築や、財政責任法を策定することが必要だという議論には、おおいに賛成できる。しかし、財政の重要な機能として「経済を安定化すること」の説明が事実上無いことが残念である。「諸外国の財務省の最重要なミッションは、マクロ経済の安定や成長であり、」(p260)と述べられているにもかかわらずだ。私の理解では、財政政策は金融政策と適切に協調することによって、名目経済成長率、物価上昇率、雇用といった主要なマクロ経済指標をある程度制御することができる。財政赤字の増減は、それ自体が政策目標なのではなく、そうした財政金融政策の結果にすぎないのである。例えば、上記の「金利上昇」という経路は、現在の日本では緩やかなインフレ率を実現するため中央銀行によって明確に抑制されること(イールドカーブコントロール)が約束されているし、金融政策が引き締め気味のもとで行われる財政赤字の拡大は上記でいう自国通貨の暴落ではなく、自国通貨高をもたらすのである。一方で、社会保障と税の一体改革と称して2014年4月に行われた消費税率の拡大はネットでの増税として働き、怖るべきことにその多くは既存の赤字の穴埋めに用いられ(p34)、虎の子であるマクロの消費需要を潰してしまいデフレ脱却を遅延させてしまった。

本書が言うように将来「財政責任法」というものが制定されるのであれば、財政赤字の抑制それ自体ではなく、マクロ経済の安定を第一の目的として制定されることを願う。「日曜日の日本経済読本」が財政赤字の拡大を憂いていた1981年当時は、物価上昇率は今よりも高めであり、失業率も低かった。マクロ経済安定への配慮が無いままに財政赤字拡大への懸念が30年以上続いているとしたら、大変驚くべきことである。