有用性のディストピアから至高性のユートピアへ:「人工知能と経済の未来」 井上智洋

30年近く前の学生時代には、自動翻訳やエキスパートシステムといった人工知能(AI)関連の技術がもてはやされ、就職活動で行った先の企業でもよく実演してもらったものだ。しかし間もなくそのブームは終わってしまった。自動翻訳は使いものにならない品質であったし、エキスパートシステムも限界があった。今新たにAIのブームが到来しているようだが、本書で述べられているように、「深層学習」という新たな学習手法の提案により、AIが自発的に物事のめだった特徴を認識できるようになったからである。30年前は、人間が得た知識をそのままAIに覚えこませそれによって物事を間接的に把握する「論理的アプローチ」が主流であったが、現在では「確率・統計的アプローチ」、つまり複雑な物事を、比較的簡単なアルゴリズムの膨大な積み重ねによって直接把握できるようになったのだ。

このまま技術の発展が進めば、AIはやがて「言語(認識)の壁」を突破し、人間の知的活動の大半をこなすことのできる「汎用AI」に進化する。そうなるのは2030年頃だと本書は予測する。その場合(純粋機械化経済)、経済成長に必要な二つの資源である「機械=資本」と「労働」のうち、「労働」の役割が決定的に小さくなり、経済成長率が飛躍的に伸びる可能性があるという。労働とそれによって操作される機械には限界逓減性があるので、資本を極端に集中させることは経済成長にとっては意味がない。それゆえに資本の分配の必要性が正当化されるという議論も出てくるのだが、純粋機械化経済ではその必要性は存在しない。資本を集中すれば集中するほど生産の拡大には有利になるからだ。大半の労働は汎用AIにその役割をゆずり、もはや付加価値を生むに足らないということで労働需要は著しく下がってしまう。付加価値を産む有用性に価値をおくだけならば、資本を独占する者に圧倒的に富が集中するディストピアが出現することになる。

そのような事態に対応するためには、一人一人に区別なくあらかじめ一定額のお金を給付する「ベーシック・インカム」(BI)の実現がもっとも有効だ、というのが本書の結論である。人間の存在価値は、労働によって付加価値を産み出すことではなく、人間として存在することそのものである、というわけだ。純粋機械化経済に移行すれば経済成長率は著しく高まるはずなので、BIの原資には困らないはずだ。現在、政府・中央銀行が行っている財政・金融政策については、最優先の目標をマイルドインフレの実現と維持として汎用AIに任せてしまえば、人間の官僚よりよっぽどマクロ経済をうまく安定化させてくれるだろうとも思う(緊縮の罠にも嵌らないですむはずだ)。

果たして、純粋機械化経済に移行できるほど汎用AIがよく機能するようになるかどうかについては疑問が残るが、もしそうなれば、根本的に価値観を変える必要が出てくるだろう。たとえば科学研究という観点でみると、汎用AIが登場すれば、アイディアや洞察力に長けた少数のスター研究者しか労働需要がなくなるだろうことは、よくわかる。汎用AIならば、通常の研究者・研究補助者が行うような作業のほとんどはこなせるようになるだろう。ただし、BIによって生活が保障されるならば、汎用AIとともに趣味として行う科学研究は、とてつもなく楽しく、やりがいのある行為になりそうだ。人間の行為の多くが、「未来の利得の獲得のためではなく、現在の時間を楽しむために費やされる」として本書で言うところの「至高性」が称揚される未来が到来することを、心から願う。