小説家であり続けること:「職業としての小説家」村上春樹

 

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

 

何かを外に向けて語ってみたい人が、小説をひとつふたつ書いてみることはそれほど難しくなく、時としてそれが大傑作になることもある。しかし、小説を数十年書き続けること、職業としての小説家を長く続けることはかなり難しい。本書では、数十年にわたって職業としての小説家であり続けている村上春樹が、創作の秘密を存分に語っていて面白い。第一に、長期にわたって小説を書き続けるために、自分の肉体(フィジカル)を鍛えることが大事で、村上春樹は毎日走ることによってそのことを実現している。自分のフィジカルは、小説を書くために何よりも必要な集中力の源である。第二に、小説を書くにあたって周囲の人々の意見に耳を傾け、徹底的な書き直しを行うことである。ただし、完成し世の中に出してしまったら、いっさい外の意見は気にしないようにする。第三に、あらゆる機会を利用して、大小様々な素材の仕込みを続けていくことである。

 

何となく、科学論文を書き続けることとの対比を思い浮かべてしまった。きわめて独創的な一部の天才的研究者を除いて、長い期間着実に論文を書き続けている研究者は、フィジカルが頑強である。生まれつきフィジカルが強い人々もいるが、多くの人々は何らかの方法で、意識的にフィジカルを維持し続けているようだ。科学論文を出版するにあたっては、匿名の査読者たちによる査読を受けるのだが、そうした研究者はいかなる査読意見に対してもしっかりと耳を傾け、(査読に対して肯定的に対応するのであれ、村上春樹のように場合によっては否定的に対応するのであれ)何度も徹底的な書き直しを行うことを辞さないのである。さらに、そうした研究者は、興味関心の幅が広く、常に面白そうなことを探している。ただ論文の場合は、出版されてからが本番で、報告されたことが真実であるかどうかは、書いた本人にも本当はわからないのであり、常に議論の対象となっていく。そこが小説との違いで、まともな研究者は、自分が出版した論文でさえも批判の対象として改めて読みこむことで、新たに研究を進めていくのである。

 

村上春樹のすごいところは、国際的なマーケティングを徹底してやってきたことである。信頼できる何人かの翻訳者を得て自分の小説を英訳してもらい、現地の出版社とは自分で直接交渉し売り込みをかけたのだ。これで実際多くの海外読者を得ているのだから、彼の小説には、日本語世界を越えて普遍的に訴えかけるものがあるのだろう。ただ、彼の国際的な成功のきっかけは、日本の経済成長が作り出したものだ。1980年代に日本の経済力が大きく伸長し、出版界も海外進出し、村上春樹はその波に乗っている。科学研究でもそれは同じことで、村上春樹と同じ団塊の世代の偉大な研究者たちは、40-50代の円熟期に当時の日本の経済発展の後押しを得て少なからぬ研究費を獲得し、世界に名乗りをあげていった。そして小説も科学も、いまは中国の人々が同じような波に乗っているように感じる。

 

一番大事なことは、なぜ村上春樹が小説を書き続けているかということで、これは本人が自ら述べているように、ある種の天啓による、としか言いようのないものである。いわく、「自分は何かしらの特別な力によって、小説を書くチャンスを与えられたのだ」(本書、p60)という不可思議な認識である。これは多くのキャリアが長い研究者たちにもいえることで、みんなどうしようもなく研究をしてしまうのである。こうした内的衝動が弱い人々は、いちど小説を書いた多くの人々と同様に、たいてい途中で別の世界に移ってしまう。

 

もうひとつ大事なことは、「少なからぬ幸運」(同)に恵まれたことである。この幸運は、第二次大戦後の日本を含む諸国の経済成長と冷戦の終結、その後の資本主義の野放図にもみえる拡大、といったここ数十年の時代背景と強くつながっているように思えてならない。