熟年のSF小説: 「ブルー・マーズ」 キム・スタンリー・ロビンスン

ブルー・マーズ〈上〉 (創元SF文庫)

ブルー・マーズ〈上〉 (創元SF文庫)

ブルー・マーズ〈下〉 (創元SF文庫)

ブルー・マーズ〈下〉 (創元SF文庫)

1990年代の火星SFを代表するといわれた三部作の邦訳が、20年以上を経てようやく完結した。一読して、熟年、中高年のSF小説だと思った。第一巻の「レッド・マーズ」での火星探検隊「最初の百人」からして、放射線など厳しい環境を考慮し、生殖能力を前提としない中年男女から成っていたのであり、第三巻の本作では長寿処置の開発によって200歳を超える年齢の登場人物が活躍する。彼らが直面するのは、次世代との軋轢や、認知や記憶の障害といった、自らの老いの問題である。また本作では、新たな仕事や恋愛など第二、第三の人生を果敢に生きる姿が濃厚に描かれる。

本書刊行後20年が経過した現在では、本書で描かれている200年後の世界で深刻となっている世界的な人口増加の見通しはかなり和らいだものとなっている。本書では地球の人口は180億、火星の人口は1800万(下巻, p178)とされているが、現在の世界人口増加の見通しでは、100年後に100億をちょっと超えるくらいで、増加率は落ちていく傾向にあるようだ(https://esa.un.org/unpd/wpp/Graphs/Probabilistic/POP/TOT/ ('World'を選択))。だから、地球からのものすごい移民圧力がかかって火星の政治を変えていくダイナミズムは、現代の感覚ではやや実感に乏しい。

200年後の話だからそれはまあいいのだが、「人口が少なく、エリート的な火星社会」と「環境破壊と人口増加の脅威にさらされ、とにかく今日明日生きのびることを模索する地球社会」の対比は、現代世界のエリート的な人々と、それに対して否をつきつける人々の対比を想起させる。前二作は火星側からだけの視点で描かれていたが、本書には両者の視点が織り込まれていて、単純に火星独立万歳というわけではない。火星社会には、環境保護主義者(レッズ)が存在しているが、彼らのうちの過激派は完全なテロリストであるし、一方の環境改変主義者(グリーンズ)にみられるエリート主義的な傲慢さも強調されている。

最終的に本書で示されている興味深いビジョンは、恒星間まで含んだ広大な宇宙空間に、多様な価値観をもち時としてお互いに相容れないような様々な人類のコミュニティが拡大放散していくことである。