「デフレ脱却」という日本近世の意義: 「経済で読み解く織田信長」 上念司 

経済評論家として、現代の様々な事柄に対し、マクロ経済学的な視点(「経済の掟」)から鋭く切り込んでいる著者が、室町・戦国時代を「デフレ経済」というまったく新たな視点からとらえた刺激的な本である。

当時の日本の通貨(銅銭)は、中国から貿易を通じてもたらされるものであり、通貨発行権は当時の中央政府である室町幕府にはなかった。したがって、中国の王朝の通貨政策や貿易の多寡によって貨幣の供給量(マネタリーベース)が変わってしまう。当時の中国(明王朝)は、1400年を境に大増税を行い、その結果経済がデフレ基調になり、中国の景気が低迷し衰亡に向かった。それとともに、朝貢貿易等によって日本国内に流入する銅銭も減少し日本国内の景気もデフレ基調となってしまい、足利幕府も衰亡に向かう、という指摘が重要である。

さらに興味深いのは、銅銭を含む様々な物資の流通を支配していたのは足利幕府それ自体というよりは、五山と呼ばれる幕府を支えた禅宗寺院や、古くからある比叡山興福寺といった寺社勢力であったという指摘である。本書のもっとも面白いところは、これらの主張を様々な経済データの解析によって具体的に示すところである。「タンス預金」の推計を出土備蓄銭の集計でやってみるところは、特に独創的だと思う。

こう考えると、本書で題名として取り上げている織田信長や、その後継者である豊臣秀吉徳川家康徳川幕府といった全国統一政権がもった経済史的な意義は、寺社勢力にあった通貨や物資の流通の主導権、もっといえば通貨発行権を自ら手中にしたこと、さらにはこれによってデフレを脱却し近世初期の高度経済成長をもたらしたこと、であるといえるだろう。今までは、近世初期の高度経済成長は、全国統一政権がもたらした国内の平和によって、幕府や大名が新田の開墾など国土開発に集中し農業生産を拡大することができたからだ(たとえば、領域国家の起源としての戦国大名: 「戦国大名」 黒田基樹 - myzyyの日記)、というような理解であったが、本書によって、通貨供給量の増加によるデフレ脱却を通じた経済の活性化、という新たな視点が加わった。供給(モノ)と需要(カネ)の双方の面からの経済成長の実現、という日本の近世開始の意義をとらえることができるように思う。