音楽を語る言葉:「音楽の聴き方」 岡田暁生

音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書)

音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書)

言うまでもなく、音楽の聴き方は自由である。しかし大まかに見て、音楽を聴くときにそれが持つ言語的な意味に注意してみる聴き方と、そうした意味にできるだけとらわれず「サウンド」(本書)に集中する聴き方があると言ってよいだろう。本書は、著者が精通するクラシック音楽を主な題材として、前者の聴き方に向けて、つまり

あくまで事実に基づき,かつ共同体規範を参照しつつ、その中に対象をしかるべく位置づけ、しかしそこから「私にとっての/私だけの」意味を取り出し、そして他者の判断と共鳴を仰ぐ」(p164)

ことを楽しんでみようと、あの手この手で読者を誘惑する。

ただし、「共同体規範」といっても、現代では一つの音楽が属する社会的文脈は、様々に異なりうる。例えば、18世紀にモーツァルトが常に前提としていたような西欧貴族社会の音楽規範は、クラシック音楽の中でおいてさえ唯一のものではない。著者がすすめるのは、単一の音楽規範の中で聞くということではもちろんなく、

自分が一体どの歴史/文化の文脈に接続しながら聞いているのかをはっきりと自覚すること、そしてそれとは絶えず別の文脈で聴く可能性を意識してみること」(p172)

である。

youtubeでは、ある曲を「歌ってみた」とか「演ってみた」という投稿が実に多いが、最近は意外にこれを聴くのが面白いということに気づいた。同じ曲であっても、歌う人によっては自分と全然違う社会的文脈でこの歌を「聴いている」と思える場合があって、それに対して感心することがあるのだ。またブログを検索してみて面白いと思える音楽批評は、たいてい本書の流儀にしたがっているように見える。つまり、結果として音楽を通じて他者とコミュニケーションしようとしている。インターネット出現以前は、音楽を語るときに自分がどんな社会的文脈にしたがって聴いているかどうか自覚するのは、大変難しかったが、今はやろうと思えばそれなりにできる時代になっていると思える。