人間の本性の生物的な基盤とは:「進化と人間行動」長谷川寿一、長谷川眞理子

進化と人間行動

進化と人間行動

人間の本性には生物的な基盤はあるのか。人間といえども動物の一種であるから、当然あるはずである。本書は、人間の本性の生物的な基盤について書かれた教科書である。だが、少し前の二十世紀後半には、必ずしもそうは思われていなかった。たとえば若いころに読んだ浅田彰の「構造と力」(1983年)は、「我々は生とのズレを確認した上で部分的な連続性を認める立場をとり、生との連続性を基本とした上でいくつかの飛躍を認める立場を退ける」という立場を一貫させて当時のフランス現代思想を紹介していた。極端に言えば人間の本性は所属する文化によっていかようにも異なる、という考え方が当時の社会科学を席捲していた。本書の初版の時点(2000年)においても、著者らはそうした考え方−「標準社会科学モデル」−がそれまでの社会科学において優勢であったことを意識し、本書の冒頭で、その点についてとても丁寧に説明している。つまり、人間を含めたあらゆる生物の行動は遺伝的な基盤をもち、進化の過程における自然淘汰の対象となる、ということだ。

もちろん、遺伝子は行動の細部にわたってすべて決めているわけではなく、本書で料理のレシピのたとえが紹介されているように、あくまで行動の基盤となるということにすぎないのだが、本書で述べられているように様々な事例において相当の説明力がある。たとえば、血縁者どうしの助け合い行動や、非血縁者どうしであっても互恵的な助け合い行動(互恵的利他行動)は人間に限らずひろく動物の行動において観察され、それらは自らの遺伝子の存続をうながす、「包括的適応度」の最大化を目指した戦略なのである。人間を含む霊長類においては、互恵的利他行動に伴う社会関係の複雑化をうまく取り扱うために、脳が大容量化し、他者の内面を推測する道具として「意識」が生じた(社会脳仮説)。人間の進化の過程ではさらに、いまから6万年ほど前から石器の種類が爆発的に増え、美術品や装飾品の制作が活発化し(文化のビッグバン仮説)、やがて文明の開始に至る。

注目すべきことは、互恵的利他行動の進化の過程で、裏切り者を検知し罰する心理的機制が備わるようになったことだ。これは人間の認知能力に深く刻み込まれており、抽象的な論理だと理解しにくい事柄が、裏切り者を検知する社会的な文脈が加わると一気に理解されるようになることが、実証的に明らかになっている。互恵的利他行動は、古くから人間が親しんできた顔の見える人数規模での集団内では、ゲーム理論でいう「囚人のジレンマ」に陥らずに実現するが、人数が多い大集団の内部では裏切り者検知が機能せず「社会的ジレンマ」が生じてしまう。

裏切り者検知の心的規制や、社会的ジレンマの考えは、今日私たちが陥っている社会的状況を理解するのに有効であると思う。政治的支持を得る有力な方法のひとつは、昔も今も、ずるをしている「裏切り者」をどこかに想定し「裏切り者」が不当にため込んでいる富を逆に収奪しようと煽ることである。また、社会的ジレンマの一種であるデフレを脱却するべく企図されたマクロ経済政策(財政・金融政策)の有効性は、とくに日本においてはなかなか理解されない。こうした状況が、遺伝的基盤をもっているものだとしたら、なかなかそこから抜け出すことは難しいと感じる。逆にいえば、偶然にせよ、デフレ脱却に向けて不十分ながらマクロ経済政策(金融政策のみだけど)がこの日本でいちおう実施されているというのは、数年前の状況を考えれば夢みたいなものだが...。