思考力を問う大学入試国語:「教養としての大学受験国語」石原千秋

教養としての大学受験国語 (ちくま新書)

教養としての大学受験国語 (ちくま新書)

大学入試問題には、どの科目であっても、知識の詰め込みだけで解くことができない、思考力を問う問題が多いことはもっと知られてよいことだと思う。本書は国語の入試問題、特に評論に焦点をあてて、問題を解くために必要なことを端的に明らかにしている。それは、まさに「教養」というにふさわしい体系的な「思考の方法」である。国語に限らず大学入試の筆記問題はおおむね思考力を問う問題が多く、面接試験などしなくても筆記だけで適切公平に人材選抜ができるのである。むしろ面接試験は、面接者が気に入る特定の立ち居振る舞いをするような人材の選抜、おそらく出身階層固定的な選抜になってしまうだろう。

入試に出てくる評論では様々な現代の思想が語られている。本書は、入試問題から現代の思想の潮流を形作る様々なテーマをとりあげ、それぞれについて二項対立的な座標軸を設定し、その座標軸のうち自分はどこにいるのか常に考えてみよと説く。例えば、「自己」であれば、一方に「かけがえのない個別的なもの」という考え方があり、また一方には「自己とは他者である」(自己をかたちづくる価値観、人生観、感じ方は他者から学んだものである)という考え方がある。この二つの両極端を結ぶ座標軸上には「自己」と「他者」の関係をめぐる様々な考え方がありうるだろう。本書は、このような座標軸をできるだけ多く持つことが、国語入試問題を解くのに必要なだけでなく、現代を生きる社会人にとっても必要な教養であると言う。本書の例題を読むと、かなり手ごたえのある長文が出題されていて、慣れていないと内容を理解するのにも苦労する。この慣れというのが、本書で言うところの、多くの座標軸を持っておくことに対応するのだろう。

本書が対象とする入試問題は、バブル景気の記憶覚めやらぬ1990年代のものであり、この時代では、今日に比べればまだ日本は豊かであった。現代の日本社会が直面している課題は、十数年前に書かれた本書(2000年に初版)がよくとりあげている「近代批判」よりは、むしろ不景気や少子高齢化といった問題だろうと思う。本書でも「平成大不況」に言及したり、「パラサイト・シングル」という本を紹介するあたりでそうした問題の端緒がみられるが、まだ余裕がある感じだ。

二項対立的な座標軸を設定し、それに対する自分の立ち位置を確認する、という思考法は、本書が説くように大学受験生にとってだけでなく普通に役立つと思う。今日の自分の問題意識だと、財政再建プライマリーバランス<-->対名目GDP比、財政支出:公共事業・産業政策<-->給付金・直接雇用、金融政策:裁量的・予想不能<-->ルール適用・予想確定、といった座標軸がどうしても頭に浮かんでくる。本書がとりあげているような現代思想的なトピックがもはやなかなか浮かんでこないのは、現代の衰退した日本に生きる人間としてはやむを得ないことかもしれない。