思い出す言葉:「誘惑」 デイビッド・ブリン

SFの殿堂 遙かなる地平〈1〉 (ハヤカワ文庫SF)

SFの殿堂 遙かなる地平〈1〉 (ハヤカワ文庫SF)

それほど年をとっているわけではないが、年々、体調を崩したときのつらさが増してくるように思う。もう若いときのように、無理はできないと感じる。やれることの限界が、年々狭められていくような気がする。どうしようもなく辛く感じるときに、デイビッド・ブリンの「知性化宇宙」シリーズ番外編のこの話を思い出す。宇宙船「ストリーカー」が惑星ジージョを脱出した後に取り残された、知性化されたイルカたちの話である。この話に出てくるあるイルカのせりふをいつも思い出すのだ。

世界がどういうふうに働いているのか、それを知るのも大事なことなんだ!どうあるべきかなんて自分の勝手な思いとは関係ない。客観性とは、宇宙が自分を中心にはまわっていないと知ることなんだ」(p344)
この言葉は、自分が科学を志した理由のひとつでもある。この感覚を感じる瞬間こそ、科学をやっていてよかった、あるいはつらいなあと思うときのひとつである。ついこの間も、思い込みだけで解析して、大変な目にあってしまった。。。

現実の世界では、個人たるもの、やがてはちゃんと成長して、他者と交渉することを学ばなくちゃならない。文化の一部にならなくちゃいけない。チームを作り、パートナーシップを育てなくちゃならない。イフニ、そういうことを学んでこそ、よい結婚ができるんじゃないか。ハードワークをたくさんこなして、妥協をたくさん重ねるのは、ひとりでは想像もできない、よりよいもの、より複雑なものへいたるためなんだ」(p356)
今となっては、なぜそこで「結婚」?!という感じもするが、若いイルカの発言としてはまあ無理もないだろう。ともあれ、「このハードワーク、この妥協はいったい何のためだ?」、と現実で感じるときに思い出す言葉である。でも、本当にそのためのハードワークや妥協ならいいんだけどね。