占領が無くても「戦後改革」は行われたのか:「占領と改革」 雨宮昭一

前世紀の半ばにアジア・太平洋戦争という未曽有の大戦争を戦った大日本帝国は、戦後、新しい憲法のもとで日本国として再出発する。その際、米軍を中心とする占領軍が民主化のための改革を強制したという通念に対して、もともと民主化や改革への指向が国内にあり、占領軍による強制の有無にかかわらずいずれ同様な民主化や改革は行われたのだ、という新たな主張を提示するのが本書の特色である。
そのために本書は最初に、戦争中に、敗戦を受け入れ改革を実行する政治主体があらかじめ国内に形成されていたことを強調する。東条内閣を倒した「反東条連合」の存在の指摘である。さらに、東条内閣を支え総力戦体制をすすめた政治勢力の中にも戦後改革を担った勢力が存在していたことを示す。総力戦体制には、生産を担う農民・労働者や、新たに生産に加わった女性の地位を強めるような「民主的」な側面があったのである。
戦前、総力戦体制が作られた時点で、国内には1) 総力戦体制にいたる社会の変革を官僚集団としていわば上から進める「国防国家派」と2) 社会運動として下から進める「国民社会主義派」、3) 総力戦体制に反抗する「自由主義派」と4) 反動派の四つの勢力が存在していた。「反東条連合」は「自由主義派」と「反動派」の連合であり、戦後改革には、公職追放で力を失った反動派を除く、国防国家派、国民社会主義派、自由主義派のすべての勢力が関与した。
婦人参政権労働組合法、教育改革、財閥解体、農地改革、新憲法制定、など戦後改革のすべてが占領無しでも行われたかどうかについては、著者もそうは言っていないと思うし、それぞれ性格の異なる改革であった、としか言いようがない。ただ、婦人参政権労働組合法、農地改革については戦前からの社会運動の蓄積は相当なものであったし、総力戦体制がそうした方向を結果として進めるものであったことは、本書の記述からよくわかる。
占領軍、国内の種々の政治勢力のせめぎ合いの中、冷戦の本格化という国際情勢の変化が契機となり、自由主義派を中心とする政治勢力が主導権を得ることで、日本の戦後体制が確立する。自由主義派の勝利は、アメリカを中心とする西側諸国の安定した市場環境のもと、比較的有利な固定為替レート(1ドル=360円)によって貿易を拡大することが可能となったことを意味しており、その後の高度経済成長を準備することになったと言うことができる。
このとき勝利した自由主義派は、もはや戦前の自由主義派と完全に同じではなく、政党綱領をみてもわかるように、戦前おざなりにしていた社会政策への視座をそなえるようになっている。また、戦後体制において政権を掌握した自由民主党には、自由主義派だけでなく国防国家派、国民社会主義派の流れを含む多様な政治勢力が参画していた。たとえば国民皆保険制度は、戦前の国防国家派の流れをくむ岸信介の内閣において実現することになった。このような政治勢力の質的変化は、やはり敗戦とその後の占領を経過しなければありえなかったのではないかと思われてくる。
ただ、本書で記述されているように、占領下においても国内の各政治勢力は能動的かつ主体的に動いており、アメリカの占領軍が一方的に戦後体制を押し付けたという理解が間違っていることは確かであると思う。改憲を党是とする自由民主党が、護憲を主張するそのほかの政治勢力に阻まれてついに改憲を可能とする議席数を国会において獲得することがなかったという歴史的事実は、日本国民は最終的にこの戦後体制を自ら選びとったのだ、ということを示唆しているのではないであろうか。