世界史を捉える:「イスラム・ネットワーク」 宮崎正勝

世界史というものを、最初は地理的に離れた地域でばらばらに発生した文明同士が、次第に交易や戦争を通じて繋がりを深め、今日のように世界中が一体化するまでの過程であると捉えるならば、これまでにいくつかの画期がみられる。本書は大きな画期が、8世紀のアッバース朝イスラム帝国の登場であるとして、イスラム文明が世界史に果たした重要な役割を説く。まず、文明を形づくる基礎的な単位は、地理的に限定された諸地域(東アジア世界、西アジア世界、等々)の中での各都市であるとする。各都市のうち、覇権を握った中核都市を中心として、諸地域で各都市を包摂する「世界帝国」が登場する。アッバース朝イスラム帝国は、それまでの「世界帝国」が越えることのできなかった地理的限界をまたがる広大な地域を傘下におさめ、かつてない規模で諸文明を交易のネットワークによって結合する。著者はこの現象を、「ネットワーク帝国」という概念で捉えようとする。

「ネットワーク帝国」の大きな特徴は、軍事的に遊牧民の力を活用して支配領域を飛躍的に拡大させるとともに、経済的には拡大された支配領域を移動する商人の活動が非常に活発であることである。都市共同体を母胎とし、商道徳を重んじるイスラム教を背景に、従来の東ローマ帝国金本位制ササン朝ペルシア帝国の銀本位制を合体させることで貨幣経済を発展させたイスラム帝国は経済的な繁栄を享受する。イスラム帝国が衰えた後、さらに広大な諸地域を包摂するモンゴル帝国が登場するが、これも同様に「ネットワーク帝国」であり、イスラム・ネットワークはモンゴル・ネットワークとして発展継承されていく。モンゴル帝国の後には、大航海時代の訪れとともに西欧諸国が台頭するが、陸のネットワークを基盤とするネットワーク帝国とは異なり、より不安定な海のネットワークを基盤とするので政治的に一体化することはなく、今日に至るまで「世界システム」を形成していくことになる。

著者はもともと高校世界史の教師であったようで、本書は混沌として見える世界史をいかに体系的に生徒たちに理解させるか、という長年の努力の賜物であるに違いない。「ネットワーク帝国」という大きな枠組みを得た後では、西欧、北欧、ロシア、アフリカ、中国など周辺諸地域の歴史も理解しやすくなる。また、本書の魅力は、大きな枠組みを語る一方で、あまりなじみの無い地域の様々な事物が具体的に紹介されていることである。特に、豊かで略奪に頼る必要のないスウェーデン・バイキングの存在や、彼らがイスラム帝国との「川の道」による交易を通じてロシア諸公国の礎を築いたことなどは面白かった。

イスラム帝国は10世紀になると衰え、広域支配の実態を失っていくが、その際に深刻な銀不足に陥っていたという。これは現代の日本のようにデフレ不況が起こり、税収が減って国が衰えたということなのだろうか? その後のモンゴル帝国(元)が紙幣を発行して貨幣不足に対応しようとしていたというのも興味深い。現代では通貨の金属本位制から解放され、通貨発行は国家が制御できるようになっているが、以前は、通貨となる金属の資源動向によって文明の盛衰が左右されていた、ということなのかもしれない。