日本中世の自由と平和:「寺社勢力の中世」 伊藤正敏

寺社勢力の中世―無縁・有縁・移民 (ちくま新書)

寺社勢力の中世―無縁・有縁・移民 (ちくま新書)

日本の中世は、いつ始まり、いつ終わったのか。そもそも中世とはどんな時代だったのか。本書は、中世とは寺社勢力が力を持った時代である、と答える。そして中世の始まりは、首都である京都の中心部で寺社勢力の祇園社が「不入権」(他の権力の介入を拒否する権利)を確立した1070年であるとし、中世の終わりは、豊臣政権によって寺社勢力の武装自衛を否定する「刀狩令」が出された1588年であるとする。

7-8世紀に成立した古代王朝日本が、次第にその支配体制を弛緩させるとともに、中央から派遣された地方役人(国司)らによる場当たり的な富の収奪が一層激しくなる。民衆(百姓)はこれに激しく抵抗するが、中世寺社勢力が姿を現わす11世紀の半ばには、百姓らによる抵抗は記録に現れなくなる。本書によれば、古代以来「鎮護国家」の名のもとに王朝の支配体制のもとにあった寺社が、この民衆抵抗運動の拠点に転化し、中世寺社勢力として記録に登場するのである。

中世にはもちろん、武士や貴族がいて、百姓がその庇護下に入ることが少なからずありえたが、その場合は隷属的な主従関係を要求された。本書はそうした支配関係を「有縁」と呼んでいる。一方、百姓が中世寺社勢力の庇護下に入る(駆け込む)場合は、これまでの支配隷属関係はいったん消える(縁切り)が、新たに生ずる寺社内部での主従関係は比較的緩く自由なものであった(無縁)。中世寺社勢力の登場以前は、自由すなわち死を意味することがほとんどであった。中世において寺社は、十分とは言えないまでも初めて民衆に対し自由と平和を提供する場(無縁所)となったのだ。中世寺社勢力が大きく成長する最大の理由は、これであると本書は言う。

中世の終わりは、それまで寺社勢力に拠っていた民衆が新たに自治による村や町を作り出し、戦国大名とそれに続く統一政権がこれらの村や町の共同体を平和領域として統合するのと軌を一にしている。もはや宗教の力を借りなくても、新しく作られた自治的な共同体の下で自由や平和がある程度確保できるようになった、と言えるのかもしれない(中世の村に生きる:「中世民衆の世界」 藤木久志 - myzyyの日記 参照)。そして十分に強力となった統一政権によって、寺社勢力は武装解除され、不入権も失い、政権の枠組の中に取り込まれる。

本書のように、日本の中世を寺社勢力(無縁所)の存在によって特徴づけると、中世に対する理解が深まると思う。

人間には、縁などより先に、生の生活、生の感情、自然の尊厳がある。これを積極的価値として位置づけたのが自然権思想である。縁切りとは、縁のために損なわれた人間の自然権を回復しようとする試みの、第一歩としての逃避である。その人々の思いが作り出した、非制度的な制度が無縁所なのだ。中世とは無縁所の時代だ。」(本書p246)

と本書は結論する。中世以前は、人間個々人の自然権など考慮される余地もなかった。中世に入って初めて、今日われわれが固有の自然権として認識している人間個々人の尊厳追求が始まった。こう考えると、日本において中世という時代区分を考える人類史的な意義が見えてくるようである。