格差は経済成長に影響するか: 「不平等との闘い」 稲葉振一郎

新古典派経済理論では、市場取引をつうじた資源の最適な利用によって生産が最大化する仕組みが追求される。そこでは、市場に参加する個々の主体の経済的な格差(不平等)への関心は、どうしても小さくなってしまう。市場取引によって個々の効用が向上すれば良い(パレート最適)とするのが流儀だからである。ただし、新古典派以外の経済学全体を歴史的に俯瞰すれば、格差と成長への関心は途切れることなく持続してきた。本書は、格差と成長をどのように経済学が扱ってきたのかについて、ルソーとスミスの相異なる立場に端的に問題意識を集中させたうえで語っている。つまり、市場経済においては格差が必然的に拡大するのではないかというルソー的立場と、全体として経済成長すれば格差の拡大は問題ではないというスミス的立場である。

注目するべきは、20世紀末に生じた経済学におけるひとつの流れ、著者がいうところの「不平等ルネサンス」である。20世紀後半に先進諸国でおこった高度経済成長において、国内での経済的格差は縮小する傾向にあったが、その後、先進諸国において経済的不平等が拡大する傾向が観察されている。こうした状況を受けて、新古典派的な経済学者たちも再び格差と成長の問題に取り組むようになり、経済的格差が大きいと経済成長も停滞してしまうという実証結果が明らかになった。また、格差が成長に影響するという理論研究も行われるようになった。最近話題となった「21世紀の資本」の著者ピケティも、研究者としての活動はこうした理論研究から出発していた。

本書では、この「格差が成長に影響する」という興味深い理論的知見が、どのような前提のもとで示されているか、いくつかの概念的なモデルを提示して論じている。ここが一番面白いところである。ひとつは、意思決定の主体が世代交代しながら投資と消費を重ねていくモデル(世代重複モデル)、もうひとつは、世代が交代しない状態で単一の主体が意思決定を続けていくモデル(ラムゼイモデル)である。格差と成長のモデリングにおいて最も重要な仮定は、資本の投入に対する生産性は、資本の規模が大きくなりすぎると伸びにくくなってくる(収穫逓減)である、ということである。だからひとつの主体に資本が集中すると、集中しない場合に比べて成長率は落ちてしまう。これを解決する方法のひとつは、資本市場の整備であり、所有している資本に格差があったとしても、資本市場をつうじて余っている資本を不足しているところに融通することで、資本の最適配分が実現する。ラムゼイモデルでは、基本的にこのような結果が出てくる。

しかし重要なことは、資本市場がうまく機能したとしても、世代重複モデルにおいて最初に著しく資本の格差があった場合は、そうでない場合に比べて生産の水準は落ちてしまうことである。これは、貯蓄率一定の仮定により、資本があらかじめ大きい場合でも一定の割合しか貯蓄(投資)にまわらず、残りは当期で消費されてしまうからであると理解できる。ラムゼイモデルの場合には、貯蓄率は所有している資本の量に応じて変化するようになっているので、必ずしもそうはならない。

このようにして、場合によると「格差は成長に影響する」のであれば、格差の解消が経済学的な意味でも必要になってくるのだが、解決策はおおまかに二とおり考えられる。ひとつは資産市場を整備する、もうひとつは政府が介入して再分配を行う、ということだ。20世紀末に生じた「不平等ルネサンス」の研究者たちは、格差をもたらす要因は、物的資本よりも教育などの人的資本にあると考えた。ところが人的資本をやりとりする市場は、情報の不確実性と外部経済性(人的資本は「ただ乗り」できてしまう)によってうまく機能しない。それゆえ、公教育の充実など、政府による再分配をつうじて人的資本の格差是正にとりくむべきだという提案がされているようである。

もともと「不平等ルネサンス」の理論家であったピケティは、21世紀に入ると実証研究に重点を移し、その成果が「21世紀の資本」としてまとめられた。そこでは、人的資本よりは物的資本の格差が著しいことが強調され、歴史的な傾向として成長率(g)は利子率(r)より小さいことが示唆される。そして20世紀に見られた格差縮小の傾向に対しては、経済的な原理の存在よりも、政治・社会の歴史的変動(偶然の出来事の積み重なり?)の寄与のほうが重要ではないかということも示唆されている。

かくして、格差と成長をめぐる議論は「不平等ルネサンス」の段階を抜けて、再び混沌としてきたようである。格差が成長に影響しないのであれば、格差縮小を正当化する別の原理が必要となる。ピケティは格差縮小のために資産課税が必要だと主張するが、なぜ格差縮小が必要なのかという原理的立場については明言していないようだ。本書は、「数学註」も含め、とても読みごたえのある本だった。たとえば、世代重複モデルにおいて各主体が、平均資本以上での生産は行わず、それ以上は資本が足りないほかの主体に貸し付ける様子を理解するのに時間がかかった。不平等との闘い、に加え、不平等をめぐる経済的議論の闘いの様子が見てとれたと思う。