人ならざる者たちによる宇宙開発:「宇宙倫理学入門」 稲葉振一郎

宇宙倫理学入門

宇宙倫理学入門

ガガーリンによる初めての有人宇宙飛行(1961年)から、かれこれ60年近くたったが、人類の活動範囲はいまだ地球を周回する軌道上までにとどまっており、有人による宇宙開発はあまり活発であるといえない。現在、世界の主要な国々で有力な価値観となっている自由主義リベラリズム)の立場からいえば、膨大な資源を必要とし幾多のリスクをはらむ有人宇宙開発を、公的に強く進める理由は特に見つからない、というのが著者の見解である。実際、有人宇宙開発をもっとも強く進めている国は現在、必ずしも自由主義国家とはいえない中国である。

宇宙開発を普通の科学技術開発としてとらえるならば、それを公的に支援するのは、初期投資が巨大であり、波及効果が公益性を持つゆえである。しかしそうだとしても、宇宙空間が生身の人間にとってあまりに厳しい環境であることを考えれば、有人ではなく無人の宇宙開発で十分にその目的は達成できるであろう。また、かつて言われていた、人口の爆発的な増加によって宇宙空間に居住空間を求めざるを得ないという見方は、近年見えてきた主要国における少子化によって否定されつつある。さらに本書では、小惑星の衝突等による破局的な地球環境破壊の可能性を想定して人類の生存拠点を地球外に確保しておく、といった立場についても、別途「災害倫理学」の文脈において詳しい考察が必要であるとして議論から除いている。

そこで本書では、リベラルな社会体制のもとで有人宇宙開発、さらには宇宙植民が大規模に展開される状況は、「深宇宙に長期間滞在する、あるいはそこで生涯を送ることを自発的に引き受けるような人々が、宇宙開発へのニーズとは独立に、一定数すでに存在していること」(p184)であると推論する。そしてそのような人々は、自発的に自己改造を遂げて、自然人に比べれば宇宙空間での生存に比較的容易に対応できるような人々(ポストヒューマン)であろう、あるいは、自発的に宇宙空間で活動できるような高度な人工知能を備えたロボットたちが一定数存在している状況も、宇宙植民展開へのハードルを低くするだろうと指摘する。最後に、ポストヒューマンや高度に人間的なロボットの存在が私的な領域を超えて社会化していくような状況は、既存の人間のあり方を暗に前提としているリベラリズムの射程を越えてしまうであろうと示唆している。

本書を読むと、将来、光速度の限界による交通の隔絶をあえて活用して、自分たち独自の社会を地球外に作ろうとする人々が必ず出てくるような気がしてくる。宗教者の集団かもしれないし、尖鋭的な科学者の集団なのかもしれない。いずれにしてもポストヒューマニティに関わる科学技術の発展は、本格的な宇宙植民をも射程に含むようなまったく新しい価値観を産みだす予感がしてならない。