円のゆくえを問いなおす―実証的・歴史的にみた日本経済 (ちくま新書)
- 作者: 片岡剛士
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2012/05
- メディア: 新書
- 購入: 76人 クリック: 1,625回
- この商品を含むブログを見る
さて、金融緩和(引き締め)をするしないの基準はどのように決めるのか。「国際金融のトリレンマ」と呼ばれる考え方によれば、「国際間の自由な資本移動」、「為替レートの安定」、「独立な金融政策」の3点を同時に満足させることはできない。変動相場制の場合は、為替レートの安定が達成されないかわりに、国際間の資本移動は自由に行われ、各国の政策当局は金融政策を独立に実行できる。金融政策は、基本的に為替レートには関係なく、経済安定化政策として自国の物価を制御するために用いることができる。経済を安定化させる(景気変動の悪影響を和らげる)ためには、年数パーセント程度の緩やかな物価上昇を実現することが望ましい。しかし現状の日本では、年間数パーセント程度ではあるが物価は下落し続けている。そうであれば、まず為替レートは気にせず積極的に金融緩和を行い、緩やかな物価上昇を実現するべきであるが、現状はそうなっていない。そもそも為替レートうんぬん以前に、物価上昇率を適切に制御するという観点から日本では金融緩和が足りないのである。本書では、金本位制、ブレトンウッズ体制、変動相場制に至る過去数十年の為替変動の歴史をまとめる中で、日本は、変動相場制移行に伴う金融(そして財政)政策対応の変化に対応しきれていないのではないか、と示唆する。1970年代の狂乱物価、1980年代のバブル景気、そして1990年代以降続くデフレは、いずれも変動相場制移行に伴う金融・財政政策対応の変化に、政策当局が対応しきれていなかったことによるのである。これに関連し、「円高シンドローム」(マッキノン・大野)は1990年代までの状況であり、現在では存在しない、という指摘は大変興味深かった。日本は、「円高シンドローム」など気にせず、独自に金融政策を実行すればよいのである。
本書は最後に、為替と金融政策をめぐる論点を10個提示し、いずれについてもデータや先行研究を用いて丁寧に説明している。個人的に大変興味深かったのは、「独立した金融政策に基づく金融緩和を通じた通貨安は、近隣窮乏化政策であるのか」という昔からよくいわれる説に対する反論である。そもそも無制限な金融緩和は、年数パーセント程度の緩やかな物価上昇を実現する、という金融政策の目的からしてありえない。だから際限のない金融緩和による各国間の通貨安競争というものは意味がなく、各国それぞれが自国の物価上昇率によって必然的に制約されるべきものだ。また、通貨安による輸出増加だけが生じるわけではなく、金融緩和による景気改善を通じた輸入の増加も生じ、その点では輸入品を提供する他国も恩恵を受ける。独立した金融政策に基づく金融緩和を通じた通貨安は、近隣窮乏化政策ではなく、各国が適切に政策実行すればそれぞれの国が恩恵を受ける性質のものである。筆者はこうした議論に触れるたびに、筆者を含めた世間では市場メカニズムを参加者の一方が得をすれば一方が損をするというゼロサムでとらえがちであるが、市場メカニズムは、適切な政策実行のもとでは参加者それぞれにとってウィンウィンとなる可能性をもつものであると感じる。常識や先入観を、データと理論を用いて打ち破る、という過程は自然科学の醍醐味であり、経済学はその意味で自然科学に近い雰囲気があると思う。