- 作者: 飯田泰之
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2012/10/17
- メディア: 新書
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方法論的個人主義という仮定から、最適な資源配分に至るための行動は「他の誰の満足度も下げることなしに誰かの満足度を上昇させる」ものだ、ということになる(「パレート改善」)。そして、そのような行動の結果としての資源の最適配分は、「誰かの満足度を下げることなしには、誰かの満足度を上げることはできない」状態になっている(「パレート最適」)。主観的な満足度(「効用関数」)は金銭的な満足度に限られないし、パレート最適はかなり緩い基準なので、方法論的個人主義は経済学の適用範囲を相当広くするであろうことが、何となくわかる。市場経済における双方の同意に基づく財の交換や、社会的な分業は、まさに「他の誰の満足度も下げることなしに誰かの満足度を上昇させる」行為になるといってよいだろう。そして、完全競争市場における取引の最終結果である「競争均衡」はパレート最適な財の配分である(「厚生経済学の第一基本定理」)。パレート最適な配分はひとつではなくいくつもありうるが、そのうちどのようなパレート最適な配分であっても適当な初期配分の変更(財の交換)を行うことによって競争均衡として実現可能である(「厚生経済学の第二基本定理」)ことから、「計画経済に対する自由な取引に基づく市場経済の優位性」が導かれる。
パレート最適な結果は、取引する者すべてが満足できる可能性をもつものである。それならば、巷間いわれるところの、「構造改革」が一時的な「痛み」をもたらすものであっても最終的には効率的な市場を実現する、というのはパレート改善ではないのではないかと思う。一方で、方法論的個人主義は、再分配に関する議論を難しくする。裕福な人々の所得を減らして裕福でない人々に配分する行為はパレート改善である、と直ちにいえるものではないからだ。本書によって、経済学の議論を読んだり聞いたりする際には、どこまでが方法論的個人主義「のみ」による議論なのか、どこからがさらに追加的な価値観に基づくものなのか注意する必要があるということがわかる。
いずれにしても、自由な財の交換や分業によって資源の最適配分を実現する、という議論は、基本的には自分にとってはとても好ましいものであると感じられる。著者が標準的な経済学の議論の歴史的な出発点となったと指摘する「比較優位」は、生産性が劣る取引者であっても、社会的な分業に参加することによって全体としてより多くの生産達成に貢献できるという議論であると解釈でき、経済学の基本的な価値観を体現するものであることが実感できる。次に出版が予定されているマクロ経済学の入門書も読むのが楽しみである。