「危機」の1930年代:「日本近代史」 坂野潤治

日本近代史 (ちくま新書)

日本近代史 (ちくま新書)

本書は、幕末から昭和の日中戦争勃発までの約80年間の日本政治史をたどる、著者のこれまでの仕事の集大成であるとも言える力作である。この期間を、「改革」->「革命」->「建設」->「運用」->「再編」->「危機」->「崩壊」の七段階に分けていることが特色である。著者の問題意識のひとつは、この一連の七段階を、戦後の現代史に重ね合わせてみることである。特に、1937年7月7日の日中戦争勃発(盧溝橋事件)が、2011年3月11日の東日本大震災発生に類似しているとしたら、という著者の感想が読者として興味をひく。「危機」の時代は、大正デモクラシー期に対応する「再編」の時期を経て、1925年に普通選挙制と治安維持法の成立によって始まり、1937年の日中戦争勃発によって「崩壊」の時代に転化していく。

普通選挙制と治安維持法によって、共産主義勢力を除いた諸政党による、再編された民主政治が開始される。二大政党である政友会と民政党は次第に、対外強硬策と国内民主化抑制(政友会)と、対外宥和策と国内民主化促進(民政党)、という対立軸を鮮明にして激しく争う。総選挙は数年毎にその都度、政友会か民政党かの政権交代を強いる。軍部は、繰り返される政権交代によって生ずる対外政策のぶれに強い不満を抱きはじめる。民政党政権は、種々の民主化政策を進めるも、経済恐慌が生じているときに金解禁を強行することで不景気を決定的に悪化させて、国民の支持を失う。二大政党が掌握できない国民の不満を、社会大衆党などの新興の社会民主主義勢力がすくいあげる一方で、軍部やその周辺の民間右翼が台頭し軍事クーデターを繰り返す。陸軍は、当時最大の仮想敵としていたソビエト連邦との戦争に備える独自の行動を活発化させていき、1931年には満州事変を引き起こして、中国東北部を対ソ戦のための前線基地とするようになる。こうした国内外の危機が進むにつれて、二大政党や軍部の内部分裂が加速し対外関係の制御が不可能になっていく。二大政党や軍部の一部が曲がりなりにも協力して事態収拾のための連合を結成し宇垣内閣を樹立しようとするが、陸軍の一部の抵抗を完全にはねのけることができず失敗する。対抗した陸軍の一部が擁立した林内閣も、わずか数ヶ月で挫折する。四分五裂した政治指導者層は、その後偶発した盧溝橋事件を収拾できず、強硬化した世論に押されて日中全面戦争への突入を止めることができなかったのである。

本書に先立って出版した「昭和史の決定的瞬間」(2004年、ちくま新書)では、社会大衆党の躍進や宇垣内閣構想などを民主化の進展ととらえ、日中全面戦争という外的ショックが国内民主化を圧殺したと見立てていた。本書では、当時進展していた事態を、民主化の進展というより政治指導者層の分裂であるととらえなおし、政治指導者たちが外的ショックに有効に対応できる状況でなくなっていたと分析する。1937年の日中全面戦争開始が画期であり、1937年以降にこそ、自由な言論の恣意的な弾圧や軍事予算の膨張が加速するのである。また、「危機」の時代の政治勢力から軍部を除いて共産主義者を加えれば、そのまま戦後民主主義を担う政治勢力となる。満州事変からアジア太平洋戦争までを十五年戦争としてとらえる従来の議論と異なる視点が、説得的である。

筆者には、1930年代と現在をあえて比較するとすれば、2011年3月11日の東日本大震災発生は、1937年7月7日の日中全面戦争勃発よりもむしろ、1931年9月18日の満州事変勃発に対応するように見える。そして経済政策を主要な争点として総選挙を制し、2012年12月26日に成立した第二次安倍内閣は、同様な争点で総選挙を制して1931年12月13日に成立した犬養内閣と重なるように見える。危機はいわば始まったばかりである。現代の危機に、諸政党や官僚、そして日本国民がどのように対応していくのか、様々な可能性がある。1937年の日中全面戦争勃発以前には、軍部に対して諸政党は精一杯の抵抗を示していたと坂野潤治が語る1930年代の政治史をふりかえると、政治社会のさらなる分裂と外的ショックの到来を恐れる一方で、筆者はまだ希望を持ち続けたいと思う。