「改革」の時代が終わる!:「ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼」 松尾匡

1980年代以降に立て続けに生じた旧ソ連や東欧諸国の破綻や、最近起こったリーマンショック原発事故等の様々な事件は、「経済とテクノロジーの発展がもたらしている流れ」である「転換X」を示すものだ、本書は説く。従来、「転換X」は、政府の社会への介入のあり方を減らす「小さな政府」への転換であるとされてきた。しかしこの事態は、経済学者ハイエクが言っていたことを敷衍して解釈すると、様々な事業を効果的に行うためには、リスクを負い決定権と責任をもつ事業主体を一致させることが必要だということを教えていたのだ。

さらにこのことを、「合理的期待」や「ゲーム理論」といった、「一九八〇年代に広まった経済学の新展開」に基づいて考えを深めていくと、政府の役割は、様々な事業に伴うリスクを最小にするべく、政策や社会体制に関する人々の予想をより良い方向に確定していくことだと理解されるのである。だから、「転換X」は、財政規模という意味で小さな政府への転換というわけでは必ずしもない。「転換X」の基本は、たんに政府の介入を減らすということではなく、政府が自由に行われるべき民間の事業にあれこれ介入する裁量の余地を減らす代わりに、政府が、人々の予想を確定するような様々な基準づくりとその実現に集中するようになることである。

「転換X」にのっとった政策の例として、すべての人に一定の所得を無条件で分配するベーシックインカムと、中央銀行が一定のインフレ率を目標として掲げその実現のために必要な政策をとるというインフレ目標政策がとりあげられている。ベーシックインカムインフレ目標の大小と、政府の財政規模に関わる社会サービス支出の大小に関する価値観とを組み合わせれば、「転換X」の時代における、社会経済政策のあるべき選択軸を作ることができる。

これまでに、「転換X」を誤解した様々な「裁量的」政策が実施され、悲劇的な事態が生じてきた。過去二十年にわたるデフレを確定させてきた政府・日銀の裁量的な金融・財政政策は、経済的困窮に伴う非常に多くの被害者を生み出すに至った。現代の日本でも、特定の産業を保護するような政策が「成長戦略」として正当化されたり、生活保護受給を裁量的に削減する政策が行われたりしている。教育や研究に関しては、現場に疎い最高レベルの管理者の権限が強められ、リスクの大きな決定が容易に行われやすい状況が出現している。これらの政策は、権力者が、民意を背景にリスクの高い決定を迅速に行うことがよしとされる最近の姿勢を反映している。

本書は、1970年代にケインズ政策が「破綻」し、大きな政府から小さな政府への転換が必要だとされて以降えんえんと進められてきた「新自由主義」的な改革の風潮に対して、経済学の発展をふまえて筋のとおった明快な理解をもたらし、この風潮をついに(ようやく)終わりにさせる可能性を示している。同時期に様々に吹聴されてきたマクロ経済政策無効論への説得力ある反論としても読める。また、近い将来実現されるかもしれない、デフレ脱却後の日本社会のあり方を考えるうえでも、重要な示唆を含んだ本だと思う。個人的には、本書のもととなったウェブ連載時のタイトル「リスク・決定・責任、そして自由!」が気に入っている。