奇妙な戦争と優秀な官僚たち: 「満州事変から日中戦争へ」 加藤陽子

1937年に偶発的に生じた日中戦争は、お互いに宣戦布告もなく、日中双方が戦線不拡大を唱え和平交渉に尽力していたのにかかわらず、どうしようもなく拡大していった奇妙な戦争であった。この奇妙な戦争の起源を明らかにするべく、日露戦争以降の外交史料を丹念にたどった読み応えのある力作が本書である。

当時の日本陸軍は、主な仮想敵国としていたソ連との戦争に備えるため、満州地方(現在の中国東北部)に拠点をつくろうとしていた。満州事変(1931年)はそのためひきおこされた。陸軍は、満州の防衛を確実にするため、周辺の熱河省を制圧し、さらに安全地帯として防衛線を西に北に広げるべく華北部を中国国民政府から分離する工作を進めていく。ソ連との戦争に備えるため、という陸軍の論理はそれ自体明快であり、今からふりかえるとその行動の理由はいちいち理解できる。しかし日本政府の外交はそれにふりまわされる形となり、国際連盟からの脱退を余儀なくされ、最後には華北での偶発的な軍事衝突と、その結果としての日中戦争を招くことになってしまう。

当時の陸軍は、設定した当面の目標を達成するという意味では、官僚組織としてきわめて優秀であったようにみえる。目標を達成するために、ソ連に対する防衛ではなく満蒙開発を名目として国民感情に巧妙に訴えるとともに、当時の既成政党が熱心に取り組んでいるとはいえなかった社会・労働政策を訴えて、国民の支持を集めていく。たまたま生じた日中戦争に対しては、戦争目的を確定しそれを完遂することよりも、それを名目にして対ソ戦争のための軍備を拡大することに集中する。その点では、対米戦のための軍備拡大を必要としていた海軍も同様だった。

しかし日中戦争は「臨時軍事費を獲得するための名目的な戦争」どころではなく、まさに全面戦争であり、ドイツの支援によって近代化された精強な中国軍を相手に容易に解決をはかることができず、長期化する。日中戦争をきっかけとして国内は総力戦体制に変容していき、外交的には米英との対立が不可避となって、アジア・太平洋戦争(1941年-1945年)という破局を迎えることになる。

当時の政治家たちは、主観はどうあれ、結果として優秀な官僚組織である軍をついに統御することはできなかった。ひるがえって2015年の現在はどうであろうか。私たちの政治家は、優秀な官僚たちを果たして統御しえているのだろうか。優秀な官僚たちが設定しているであろう当面の政策目標は、本当に国益にかなうものなのだろうか。奇妙な戦争とそれに関わった優秀な官僚たちの歴史をたどると、そんな疑問が頭から離れなくなる。