異質な価値観の感触: 「モーゲの姫君」 オルシニア国物語 アーシュラ・K・ル・グィン


昔はSF小説を好んでよく読み、最近は歴史の本をわりとよく読んでいる。自分にとって良いSFや歴史の本は、異質な価値感の感触を感じさせてくれるものだ。普段当たり前に思っていたことが、未来や過去のある時点ではまったく当たり前ではなくなり、異質な価値観がたち現れている。そのことに途方に暮れる。そんな瞬間が好きだ。

オルシニア国とは、ル・グィンが作りだした、東欧にあるとおぼしき架空の国だ。「オルシニア国物語」では、オルシニアでおきた様々な出来事が、遠い過去から現代にわたって連作として語られている。派手な出来事が起こるわけではないが、すべてのエピソードに異質な価値観の感触がある興味深い物語である。

「モーゲの姫君」は、17世紀、内戦の渦中にあったオルシニア国の軍人と姫君の話だ。二人は生涯に三回会っただけだ。一回目には、軍人が求婚者の若者として姫君の城を訪れる。姫君は、「自分自身の人生を生き、自分自身の道を見つけだす」ために結婚はしない、代わりに友人となってほしいと言う。若者はある種の感動をもってそれを受け入れる。二回目は、内乱が起こり若者が司令官として姫君の城を攻略し、捕虜として城内に連行されたときだ。姫君は陣頭に立って城の防衛軍を叱咤激励しており、最後まで城を死守するつもりでいる。若者は、国中の人々が姫君の勇敢な行動を賛美しており、今や姫君は自分自身の人生を生きている、と姫君に言う。しかし城主である姫君の弟は、姫君を救うかわりに城を明け渡すと若者に交渉し、若者はそれを受け入れる。姫君はこのとき最もよき理解者のはずであった若者に裏切られ、城を守って死ぬことで自分自身の人生を全うすることをはばまれてしまう。その後三十七年がたち、若者は年老いた将軍となって、結婚して公爵夫人となった姫君に再会する。公爵夫人となった姫君は平凡な母親に見え、老いた将軍は、あのときの誇り高い姫君はもはやどこにもいないことを悟る、という話だ。

この話を始めて読んだのはもう二十年前になる。その頃は、最後の老将軍の感慨を「そんなものか」と当たり前のように受け取っていた。しかし今は、少し違う。公爵夫人となった姫君は、数十年間戦場生活に明け暮れた将軍が経験することのなかった家庭の生活を営むことになった。公爵夫人は、「もしわたしがモーゲの城壁の上で死ぬことを許されていたら、わたしは、人生は大きな恐れと大きな喜びを内臓していると信じて死んだことでしょうよ」と言う。しかし、家庭を作り子供を育てることには「大きな恐れと大きな喜び」は、果たして内臓されていないのだろうか。ル・グィンの描写は、公爵夫人と将軍の会話とは裏腹に、将軍は萎びた小さな老人であるのに対し、公爵夫人は堂々としたたたずまいをみせていて、両義的である。今では、公爵夫人は自分の人生にある種の誇りと満足感を持っているものの、将軍はそのことを決して理解することがないだろうと思い、将軍をある意味哀れみ、その場は迎合しているだけのように思える。自分も二十年たって価値観が少し変わったように思い、同じ話に対する印象も異なってしまった。若い頃に自然に受け取っていた、戦場で誇りを守って死ぬことが素晴らしいという価値観は今では異様なことに感じられる。こうした価値観の揺らぎを感じることも、読書の楽しみのひとつである。