渡辺共二の名著「日本近世の起源」は、座右に置いてずっと読み続ける価値のある本だ。
最近は渡辺共二による豊臣秀吉の評価が面白いと思った。備忘として書き留めておこう。
「秀吉がヒューマニストでもなければ民衆の友でもなかったことはいうまでもない。ただ彼はゲヴァルトをもって全国の秩序を回復しようとする新しいタイプの権力者であり、その秩序が”乱取り”のようなアナーキーを消滅せしめるものである限りにおいて、新時代を創出するセンスの持ち主だったと見るべきである。」(本書、p85)
"乱取り"は、戦場での略奪行為一般であり、人身売買のための人身捕獲も含んでいる。戦国時代はきわめて一般的な慣行だった。
また、秀吉が1587年に出した、従来は「農民を土地に緊縛するための法令」として解釈されてきたバテレン追放令の解釈についてはむしろ、「領主の非法から村むらを護る」という秀吉の新たな国づくりの方針を示すものだという藤木久志の言葉を引いたうえで、
「私は秀吉が農民の愛護者だったなどといっているのではない。彼が領主支配がなりたつ基盤と条件をよく承知していたといいたいのだ。それは彼が地下百姓の出身だったからではない。彼は国土統一者として、武家を支配者として成立する新しい国家が、生活の安全と秩序を保障するものとして国民によって認定され同意されることを、存続の必須の条件としていることを痛切に認識していただけだ。」(p299-300)
と言っている。
秀吉が死の床で家康に死後のなにがしかを託したと想像するとき、秀頼のこともそうだがさらに、こうした意味で戦国乱世を終焉させ平和をもたらすことを託して死んだと想像すると、何となく崇高な気持ちになる。