「歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものである」:「安倍総理のスピーチ」谷口智彦

安倍総理のスピーチ (文春新書 1382)

第一次(2006-2007)、第二次(2012-2020)と長きにわたった安倍政権の歴史的評価が定まるのはまだ相当に時間がかかるだろうが、本人がどのようなことを成そうとしたのかについては、数多く行われた演説を読むだけでもかなりのことを知ることができるように思う。

本書では、安倍元総理の外交スピーチライターとして活躍した著者が主に手がけた演説の要所をとりあげて、わかりやすく解説している。全体を読み通すと、安倍政権の外交政策が目指したこと、実現したことについて大づかみにわかってくるような仕掛けになっている。

本書から、安倍氏の最大の政治的関心は、日本が置かれている安全保障環境の改善にあったと読める。中露北という必ずしも友好的とはいえない複数の核兵器保有国に囲まれ、台湾、尖閣諸島をはじめとする潜在的紛争地域が数多くある東アジアにおいて、衰退しかけている日本はどのように安全を確保していくべきか。そのためにはまず、再び富国強兵を目指し日本を豊かで強い国にしていかなければならない。これに加え安倍氏の独創的なところは、「自由で開かれたインド太平洋」(本書、p113)という価値観に基づく新たな外交戦略である「希望の同盟」(p103)を創出したことである。

自由で開かれたインド太平洋」とは、自由・民主主義・人権・法の支配という原則を共有する国々と協力関係をつくっていくことである。ひと昔前の、冷戦に対応する便宜的な「西側諸国」の同盟から、共通の価値観を実現するという希望に支えられた同盟へと発展させていく根拠となる概念である。

しかし、第二次世界大戦の敗戦国である日本が「希望の同盟」に積極的に参加するためには、自らもたらした戦争の惨禍に対する向き合い方を改めて見直し、わだかまりのある国々との間の和解を実現して未来志向の関係を築かなければならない。

安倍氏保守主義の立場から、過去に起きた先人による様々な行為は取り返しのつかないことであり、異なる世代の自分たちが謝罪できるようなことではない、と考えた。過去に生じた悲劇に対してはひたすらに「悔悟」(p114)し続けるしかない。自分たちにできることは、悲劇を二度とくりかえさないと誓い、そのように行動し続けることである。そして、過去の取返しのつかない出来事にも関わらず、寛容に接していただいている国々には感謝を惜しまないことである。

こうした考えに基づき安倍氏は、アメリカ、オーストラリアなどの太平洋諸国との関係を再定義し、同盟関係を再構築していった。そのためには、集団的自衛権を一部であっても行使可能にする必要があり、多大な政治的資源を費やしながらこれを2015年に実現した。2015年は戦後70年の節目であり、集大成ともいうべき戦後70年談話を示して和解の道筋に一区切りをつけた。

2015年以降は、安全保障においては「日米豪印」(QUAD)(p53)など種々の多国間の枠組みを通じて、経済関係においては「TPP11」「EPA」など種々の多国間協定を主導することで、「自由で開かれたインド太平洋」の構想実現に向けて邁進した。

本書で紹介された外交スピーチの数々は、これらの困難な、しかし意義ある道のりを安倍氏自らの、「わたくし」(p256)の言葉で雄弁に語っているといえる。さらに加えるとすれば、これらの仕事は、著者谷口氏をはじめとする多くの人々が集った首相官邸チームの達成であるともいえる。

ふりかえってみれば、「希望」とは日本人そのものの「希望」であり、安倍氏が目指した経済再生(デフレ脱却)のための政策においても、将来の生活が良くなることへの「希望」=「期待」でもあったはずである。しかし、本書を読むと、政治的資源の少なからぬ部分は外交・安全保障に割り当てられたように思い、結果として経済再生については道半ばに終わってしまったのが残念である。外交・安全保障においてもまだ解決されていない課題が多くあり、この面で安倍氏が直面した困難の大きさも理解できるが、返す返すも残念に思う。

安倍氏は暗殺され、氏自身が苛烈な歴史の奔流に飲み込まれることになってしまった。この取り返しのつかない悲劇に対し私たちはただ「悔悟」するしかないが、氏のたどった人生の春夏秋冬にまかれた「その種がたくさん分かれて、春になればいろんなところから芽吹いてくること」(p301)を静かに願い続けたいと思う。