約束を示す演説: 「名演説で学ぶ英語」米山明日香

名演説で学ぶ英語(祥伝社新書)

名演説で学ぶ英語(祥伝社新書)

リンカーンゲティスバーグ演説1863年)は、数十万にのぼるアメリカ史上最大の死者を出した南北戦争のときに行われた。国立墓地での演説においてリンカーンは、膨大な数にのぼった死者を敵も味方もなく北軍の死者を哀悼し、建国の理念に立ち返って「自由」(liberty)で「平等」(equal)な人々の国家アメリカの存続を訴える。リンカーンアメリカ建国の理念を、「人民の、人民による、人民のための政治政府(government of the people, by the people, for the people)」であると改めて定義しなおし、分裂したアメリカの再出発を期そうとする。それは、歴史家加藤陽子氏が言うように、膨大な数の死者によって社会秩序が揺らいだ後に、社会の再出発のために改めて人々との約束(社会契約)を結び直そうとすることに他ならない。ゲティスバーグ演説は3分間、270語余りのごく短いものであるが、きわめて凝縮された形で社会契約となる理念を表現している。ゲティスバーグ演説に示された理念は、本書で紹介されているように、ケネディオバマといった後世の大統領の演説において繰り返し表明されていく。

本書ではそのほか、イギリスのサッチャー元首相、南アフリカマンデラ元大統領、アウンサンスーチーキング牧師スティーブ・ジョブズの演説をとりあげ、原文と翻訳の両方を示して解説している。特に、それぞれの演説の中で名台詞となるところを丁寧に解説し、英語による演説(スピーチ)の極意を伝授してくれるところが良い。ただ一点、ゲティスバーグ演説の「人民の、人民による、人民のための政治」の解説は少しわかりにくくて、私は加藤陽子氏が言うように、わが日本国憲法による解説のほうがわかりやすく感じる。つまり、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」というわけだ。

本書を読むと、政治家の演説に興味が出てくる。例えば、最近、安倍晋三首相がアメリカの議会で行った演説はとても興味深い。この演説は、第二次世界大戦の死者(とくにアメリカの死者)を追悼することが大きなテーマになっていて、その意味でゲティスバーグ演説をふまえている形になっている。そして、日本とアメリカの同盟が大切にしている理念は、'the rule of law, respect for human rights and freedom’であると言い切っている。他ならぬ安倍首相がアメリカの議会でこのように約束し、議会で強く支持されたことの意義は大きいと思う。