アメリカという罠:「アメリカ」橋爪大三郎、大澤真幸

 

アメリカ(河出新書)

アメリカ(河出新書)

 

 本書を読むと、アメリカ合衆国とはどういう成り立ちの国なのか、今までまったく知らなかったことに気づく。10年近くまえにアメリカから帰国する飛行機で隣に乗り合わせた人がプロテスタントらしきある宗派の熱心な信者で、巨大な会場での説法イベントなどについて紹介しながら当時のオバマ大統領を強烈に非難し、直近の中間選挙民主党を負かさなければいけないとしきりに話しかけてきたことがあった。そのときはオバマ大統領を、アメリカの進歩性を象徴する人物として素朴に尊敬していたので、困惑したことを覚えている。

本書によれば、もともと北アメリカの植民地は、キリスト教プロテスタント系の諸宗派を中心とする信仰共同体の集まりが基盤となっていた。ことなる信仰共同体に属する諸個人がお互いに支障なく社会生活を営むために、初期の植民地では文字どおりの「社会契約」が結ばれることになった。したがってアメリカ社会は表面上「社会契約」による法の支配が基盤となっている。また同時にキリスト教信仰の、とくにカルヴァン派「予定説」に代表される、きわめて特徴的な宗教的価値観が通底している。

その核心は、「この世界は、神に支配されているのだと、直観すること」(p66)である。世の中ではいろいろな出来事が生じているが、これらには、どのような因果関係でも説明しようがない「初期条件」が存在し、また因果関係に支配されない「偶然」による出来事もたくさん生じている。こうした現象の初期条件や偶然性は、神によるものだと同時に多くの人々が直感することが、アメリカで何度となく起こってきた宗教的「大覚醒」の本質である。

アメリカで発展した民主主義、資本主義経済、自然科学、プラグマティズム思想の背景に、こうしたキリスト教的な価値観があると考えると理解しやすくなる。興味深いことに、一見キリスト教信仰と無縁にみえるような享楽的な欲望の追求であっても、どこか過剰なところがあり、それはキリスト教信仰の世俗内禁欲の裏返しとみなすことができるのである。

アメリカ合衆国は、自身を神に「選ばれた」と自覚した個人が集まってできた小さな自治コミュニティの集合体が基盤となっており、国民性として社会主義的な国家の介入を嫌う。オバマ政権やそれを継承する左派勢力に対するキリスト教右派の強烈な反抗意識は、このことが背景になっている。またそのため、自覚的に国家に参加することのなかったネイティブ・アメリカンや、強制的に連れてこられたアフリカ系の人々は差別的な扱いを受けることになった。

日本人は、敗戦の経緯から、「過大にアメリカが日本に対して好意をもっているという幻想をつくって、その幻想にそって行動して」(p326)おり、外交・軍事に関して無責任に「嬉々として対米従属している」(同)。しかし、上記のような価値観をもつ「アメリカ人は自分が責任を取らずに誰かにやってもらうという態度を著しく嫌う」(p322)のであり、「アメリカに最も嫌われる態度でアメリカに従属しているという状態」(同)が続いてしまっている。日本の外交・軍事は、アメリカの罠にはまっているのである。もちろん、アメリカが悪いわけではなく、問題は日本人の意識にある。

アメリカは日本にとって強力な同盟国であり、アメリカも日本を信頼してくれていて、日米の絆はゆるぎないと自分は感じてきた。しかし、アメリカの外交・軍事関係者から(おそらく無意識であろうが)軽蔑されていて、それによって日米関係は好ましくない影響を受けている。日本が真に自主独立することは、日米関係をさらに成熟させるために必須であると思われてくる。