不死を実現した後に起きること:「ビット・プレイヤー」グレッグ・イーガン

 

ビット・プレイヤー (ハヤカワ文庫SF)

ビット・プレイヤー (ハヤカワ文庫SF)

 

 

グレッグ・イーガンの最新短編集「ビット・プレイヤー」は、様々な作風をもった短編をバランス良く集めていて、相変わらず面白く読める。

とりわけ興味をひかれるのが、「融合世界」シリーズの中編二編である。舞台となる「融合世界」は、銀河の渦巻き部分を覆う、DNA起源もAI起源も含むありとあらゆる知的生物たちから成る、数十万年以上未来の超文明である。超光速は実現せず光速度宇宙旅行速度の上限となるため、旅行するたびに距離によっては簡単に数万年が経過してしまう。

登場人物たちは、いまの私たちと同じ人間であるかどうかさえ定かではない。イーガンは、彼らの感情の動きをわかりやすく描くことはしていないようにみえる。だから登場人物たちの造形は、表面的に感じられる。解説者が書いているように「物語だけをとりだせばなんだかラリイ・ニーヴン作品のようだ」(本書、p443)という印象も与える。

イーガンは「融合世界」シリーズにおいて、あえてそのような描写をしているように思える。彼は1990年代に知覚や感情のあり方を根本的に変えてしまう技術革新の描写を徹底的に行って、知覚や感情のあり方を技術によって自覚的に選択でき、意識をディジタル化することで意識のバックアップを実現し事実上の不死を可能とする未来像を確立した。しばらくの創作中断を挟んで、2000年代後半以降に「融合世界」シリーズをはじめたイーガンにとって、これらのことは物語創作の自明の前提になっているようだ。

この点で、「ボーダー・ガード」(1999年、邦訳は短編集「しあわせの理由」(2003年)所収)という話はとても興味深い。ここでは、ほんとうの死を知る、現代人の延長である数千歳の主人公と、不死の実現以降の人々との間に存在する人生観の「ボーダー」が語られる。

死が人生に意味をあたえることは、決してない。つねに、それは正反対だった。死の持つ厳粛さも、意味深さも、すべてはそれが終わらせたものから奪いとったものだった。けれど、生の価値は、つねにすべてが生そのものの中にある―それがやがて失われるからでも、それがはかないからでもなくて。」(「しあわせの理由」、p307)

「融合世界」は、このような「ボーダー」の向こう側の世界の話なのである。登場人物たちの心中には、避けられない死や不治の病への恐怖もないし、過去におきた悲惨な事件に対するトラウマもない。あるのはより良い生の飽くなき追究であり、無限の探究心だ。不安や焦燥があるとすれば、探究するべきことが無くなってしまう可能性についてのものだ。このような「融合世界」の物語が、表面上ラリイ・ニーヴンどころか1950年代のSF小説のようにみえてくるのは面白い。ただし、すべてあくまで「ボーダー」の向こう側の話だと考えると、やはり現代のSF小説なのだと思う。