「万国対峙」ではない近代化はありえたか:「幕末・維新」 井上勝生

幕末・維新―シリーズ日本近現代史〈1〉 (岩波新書)

幕末・維新―シリーズ日本近現代史〈1〉 (岩波新書)

本書は、幕末から明治維新に至るまでの通史を、明治維新によって抑圧されることとなってしまった幕府や伝統社会の力量と可能性を評価する立場から見直すことを試みている。

続発する欧米諸国からの開国の圧力に対して、江戸幕府は、開明的な老中阿部・堀田らの主導のもと、権力の足場を外様大名まで拡大し武家の結集を得たうえで事態の打開をはかる。しかし、朝廷工作の失敗によって、諸外国との通商条約の勅許が得られず、幕府の開明派は失脚する。朝廷には、孝明天皇を中心として大国主義的かつ排外的な攘夷思想が形成されており、これに触発された諸藩の武士たちが尊王攘夷派として活動し過激化して政治を混乱させてゆく。その後の幕府や朝廷自身による過激派の弾圧を経て、政治の焦点は、諸外国との交渉を幕府が中心となって行うか、これに対抗する薩長などの有力大名とその家臣や朝廷の公家たち(有司)も結集した上で行うか、ということに集約されてくる。兵庫開港問題を幕府が独断で決着させることが明らかとなった段階で、薩長有司は軍事力による権力奪取を決意し、「王政復古」クーデターを断行、直後の鳥羽伏見戦争で幕府勢力を打倒して新政府を樹立する。

本書では明治維新に至るあらましを以上のようにまとめているが、興味をひかれるのが、薩長有司がどのように成長し、最後に討幕を決意するに至ったかの経緯である。本書では、とくに長州藩について、藩主側近による専制体制を作り上げ、無理やり外国との戦争に突入することによって軍制改革を強行していくありさまが詳しく述べられていて興味深い。薩長有司は、尊皇攘夷派と出自を同じくするが、攘夷は無理と早い時期から断念しており、武威をもって諸外国と対峙し対等に開国するという強い信念(「万国対峙」)のうえに結集している。薩長有司と対決した旧幕府勢力の代表、徳川慶喜の開国・政権構想は、「万国対峙」ではなく穏健なものだった。だからこそ、薩長有司には受け入れがたいものであり、討幕を決意するに至ったのだが、このあたりの理由づけは本書の記述からだけではわかりにくい。

その後の歴史では、明治政府が「万国対峙」の姿勢で廃藩クーデターを断行、旧士族の反乱や農民一揆の鎮圧に成功し国内を統一して、海外進出へと踏み出していくことになる。本書を読んでいると、もし、明治維新が旧幕府勢力の開明派主導により行われ、それが「万国対峙」によるものではなかったとしたら、その後の歴史はどう変わったのであろうかと考えてしまう。

一方で、「万国対峙」の姿勢を貫いた薩長有司の強烈な意志はいったい何ゆえにと、不思議になる。本書によれば、当時、欧米諸国による植民地化の危機は実際には無かった、ということになるが、薩長有司の主観としては、植民地化の危機は非常に切迫したものとして感じられたのだろうか。巻末の年表で明治維新の前二十年くらいの歴史の動きを見てみると、欧米でも東アジアでも戦争だらけなので、そうだったのかもしれない。歴史のライブ感のようなものを会得するのはやはり難しい。