死者の往くところ:「ゼンデギ」 グレッグ・イーガン

ゼンデギ (ハヤカワ文庫SF)

ゼンデギ (ハヤカワ文庫SF)

今までのグレッグ・イーガンであれば、あっさりと、人間の脳活動すべてを計算機の中に丸ごと「アップローディング」できたとしてその後の展開を語るところであるが、本作はそこに行く手前の段階で起こることを描いている。脳活動の細部をそのまま再現するのではなく、活動の一部、例えばあるサッカー選手の運動能力だけを再現するといった「サイドローディング」という技術がテーマになっている。「サイドローディング」は「ゼンデギ」(イラン語で「人生」)というバーチャル・リアリティゲームに応用される。終盤の展開には「サイドローディング」の性質が重要な役割を果たす。最後まで読み通した後には、今のところ、死者の記憶をとどめておけるのは計算機の中ではなく生きた人間の脳内だけだ、という、何となく爽やかな読後感が残る。それは、幽霊が活動する死後の世界があるのは生きた人間の脳内だけだ、というあの京極夏彦カール・セーガンのリアリズムにも似ているように思う。いずれ完全な「アップローディング」が実現すればそうではなくなるかもしれないが、本作で描かれているような近未来(2027年)ではそうなってはいない。

本作ではイランが舞台になっていて、後半の2027年に至る前の、2012年に起こるとしているイランの架空の民主化運動に相当ページ数が割かれているし、「サイドローディング」を実現するイラン人科学者ナシムの研究の様子や心情も細やかに描かれていて、テーマの描き方としてはやや散漫である。ただ、そうした細部も個人的には興味深く読めた。2027年にはPLOS Biologyに加えてPLOS Numerical Biologyというジャーナルもあるのだな、とか、ナシムがジャーナル論文を読むときの感じ方とか、ナシムの四十歳を迎えての科学者キャリアに対しての心境とか(それでも研究できていればいいじゃないか、と言いたくなる)、妙に心に響いてくる。「ディアスポラ」みたいに完全に「アップローディング」の先の先まで行っちゃうようなのも良いが、中途半端だけれどリアルな感じのする本作も良い。自分にとってグレッグ・イーガンは、翻訳が出たらすぐに読みたくなる貴重なSF作家のひとりである。