仏になろうとする神々:「神仏習合」 義江彰夫

神仏習合 (岩波新書)

神仏習合 (岩波新書)

6世紀、日本列島に仏教が伝来する前には、古くからの共同体の祭祀をつかさどる神々への信仰(神祇信仰)があった。やがて8世紀になると、土着の神々が「重き罪業をなし」「神道の報いを受」けたため、神から仏になろうと願う動き(託宣)が各地で立ちおこった。この奇妙な事態を著者は、生産の増大によってこれまでにない富を私有財産として蓄積した地方豪族層の罪業意識に応えるべく、仏教側が対応した結果であると論ずる。このように日本では、外部から伝来した仏教(普遍宗教)と、土着の信仰(基層信仰)があからさまに結合する宗教のあり方(神仏習合)が発展した。

その後、神仏習合は、中央の王権による支配への抵抗運動としての怨霊信仰として現れる。怨霊信仰はその後、王権によって巧妙に組み替えられ王権の守護神に転化していった。いよいよ社会に浸透し、王権を相対化しうる可能性をもつ仏教に対峙するため、王権は自らの清浄さを過剰なまでに強調するケガレ忌避観念を発達させ、貴族などその周辺ではケガレからの永遠の解放を願う浄土信仰がさかんになる。

11世紀以降、土地の私有とその私的経営を行う中間層農民を主体とする村が出現するに至り、これを基盤とした寺社及び武士勢力が著しく伸張した。これに対抗するべく王権は、すべての神々や自らの出自神話を仏教で説明し尽くすことで、寺社や武士の影響下にある人々を「精神的に再編成」しようとする(本地垂迹説)。こうした動きが頂点に達する15世紀を境として、日本社会は質的に大きな構造変容を遂げる。すなわち、呪術性を伴う従来の神仏すべてを排除する唯一神道、垂加神道が登場し、様々な面で社会の脱聖化が進行していく一方で、王権の政治的権威は決定的に没落する。この時点で神仏習合は、その歴史的生命を完了することになる。

本書は、共同体祭祀に伴う神祇信仰(基層信仰)を越える仏教(普遍宗教)の意義を、「呪術性を脱し、人間個人の内面的な苦悩にこたえようとしている」とし、神仏習合は普遍宗教である仏教と基層信仰である神祇信仰が「開かれた系で」結びあい、競合し結合した結果であるとする。興味深いのは、神仏習合の過程で、神祇信仰も普遍宗教としての課題に応えるべく変容を遂げていくことである。本書は、神仏習合をキーワードとして、日本で宗教が果たしてきた歴史的役割を説得的に語っており刺激的である。ところで、日本社会における脱聖化の過程が、村を基盤とした高度に自治的な領域権力(戦国大名)の登場、その後の近世社会への移行と軌を一にしていることが、なんだか心に引っかかる。本書ではこのあたりのことは記述不足にみえるが、今後の問題提起、ということだったのだろう。ただただ興味深い。