領域国家の起源としての戦国大名: 「戦国大名」 黒田基樹

新書713戦国大名 (平凡社新書)

新書713戦国大名 (平凡社新書)

戦乱に明け暮れた戦国時代は、織田信長とその事業を引き継いだ豊臣秀吉織豊政権)によって終焉させられたが、それゆえに織豊政権には、競合した他の領域権力(戦国大名)にない先進性があった、という「通説的な理解」は、1970年代までの歴史研究に基づくものであった、と著者はいう。しかし、1980年代以降、戦国大名について網羅的な史料の整備が進み、戦国大名と、続く織豊期、江戸期の大名は、領域権力としての性格は基本的に同じものであるという考え方が有力になりつつある。端的にいって、織豊政権の新しさとして強調される「太閤検地」、「石高制」、「兵農分離」、「楽市楽座」といった政策は既に他の戦国大名において実施されていたものか、「兵農分離」のように本当にそうであったか疑わしいものであった。本書は、現時点の歴史学における戦国大名についての概略的な理解を、新しい通説として提示する。

本書によれば、戦国大名は、一定の支配領域内を、他のなにものの権威によらない「自分の力量」で支配する存在である。それ以前には、そのような排他的・一円支配を行う組織はなかった。たとえばそれ以前には、ひとつの荘園に対して貴族、武士、寺社など様々な上位の権力がそれぞれ異なる権益を有していた。しかし戦国大名の領域内では、戦国大名が排他的な支配権を有し、紛争の調停は戦国大名自身によって行われた。戦国大名は日本史を画する、現在の領域国家に連なる存在であるといえる。領域内部では戦国大名以外の組織同士による直接の紛争は抑制された。つまり、戦国大名の支配領域では「平和」が実現したのだ。やがて直接支配領域の外においても、小さな戦国大名を大きな戦国大名が併呑し「国衆」として組み込み、お互いの紛争を抑制していくことによって、その平和領域は広がっていく。戦国大名の支配は、その直属の家臣から成る「家中」と、生産を担う「村」の二つを基盤として行われていた。田畑の検地は、「村」における年貢の負担量と負担者を決めるもので、戦国大名と「村」の契約であり、その本質は織豊政権、江戸時代の幕藩体制を通じて変わることがない。

それでは、戦国大名の時代と織豊・江戸時代の最大の違いは何か。それは、織豊・江戸時代における大名同士の戦争状態の終息である。戦国大名の支配領域内部では平和が実現しても、異なる戦国大名同士の境界周辺では相変わらず紛争状態が続いてしまう。織豊政権江戸幕府は、いわば最高唯一の戦国大名として、すべての大名を「国衆」として組み込み、日本全国にくまなく平和状態をもたらすことによって戦国時代を終結させた。その結果、従来の戦国大名は、戦争に資源を投入するのでなく、土地開発などの公共投資に資源を投入することが可能になった。戦国時代にみられた恒常的な飢餓状態(それ自体が大名同士の戦争の原因であったのだが)が克服されるのは、公共投資による江戸時代初期の大幅な農地拡大に伴う経済成長によるところが大きかった。最後に著者は、戦国大名研究から織豊・江戸初期(17世紀)の大名研究への展開を見通しつつ、その一つの焦点は、17世紀における、諸大名の災害・飢餓への対応としての「(江戸)前期藩政改革」であろうと指摘して本書を終える。

江戸初期に展開された大規模な土木工事や飢餓克服の様子は、江戸時代農業史研究の成果

貧農史観を見直す (講談社現代新書)

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や、カムイ伝第二部
決定版カムイ伝全集 カムイ伝 第二部 全12巻セット

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でも見て取れると思う。