職務に忠実な人:「マルクス・アウレリウス」南川高志

マルクス・アウレリウス 『自省録』のローマ帝国 (岩波新書 新赤版 1954)

マルクス・アウレリウスローマ帝国の最盛期であったといわれる「五賢帝時代」の最後を飾る皇帝である。ストア派哲学の書といわれる「自省録」を著わした哲人皇帝としてつとに知られている。

本書は、マルクス・アウレリウスマルクス)の生涯を多様な史料の分析に基づく歴史学的手法から描き、哲人皇帝の実像を明らかにしようとした試みである。「五賢帝時代」についても詳しく述べられていて興味深い。

結論は、マルクスは、哲学者として帝国を統治したというよりも、先人の遺例にしたがうというローマの伝統に忠実な、職務に励む人であったというものだ。とりわけ、政治上の師であった養父アントニヌス帝への敬意にもとづくふるまいが尊い

マルクスの治世は、戦争と疫病に明け暮れる凄惨なものであったが、政治体制は後世に比べるとやはり安定していて、ローマ帝国のある種完成された姿を体現していたようにみえる。

マルクスの出自は当時の支配階級であった元老院議員の家系であり、安定した支配体制のもとで、皇帝位につくまでに十分な政治経験を積んでいる。

マルクス専制的に振る舞うことはなく、法による支配を尊重し、元老院との協調に努めた。ローマ帝国の軍隊も活力があって、のちに衰退する西部の諸軍団もこの頃は十分に強力であり、東西の戦争に威力を発揮している。

この時代、度重なる戦争と疫病にもローマの体制はそれなりに安定して対応できていたようで、五賢帝の治世が初代のネルウァを除きそれぞれ長期にわたって続いたこともその現れであると思う。

次の3世紀、軍人皇帝たちの時代になると治世は安定せず短期間で政権が次々に交代する。元老院の力も弱まり、軍隊に権力が移っていく。この違いには気候変動による寒冷化が、3世紀に顕著になることも関係しているのだろう。

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それにしても、「自省録」の文章は、こちらの勝手な先入観でのローマ帝国の皇帝と思えないほど、穏やかで抑制的かつ理性的である。統治の実務に明け暮れた権力者が、後世に公開されることを知らず戦場で密かに日々書き続けた文章だと思うと、奇跡のように思う。「自省録」が10世紀以降のビザンツ帝国で写本になったことで後世に伝わることになったという史実も、ローマ帝国の歴史の連続性を感じさせて感慨深い。