いなくなる女たち:「雪の降るまで」田辺聖子

ジョゼと虎と魚たち (角川文庫)

ジョゼと虎と魚たち (角川文庫)

 

 

女のいない男たち (文春文庫)

女のいない男たち (文春文庫)

 

 村上春樹の短編集、「女のいない男たち」を読んだ。女がいなくなる男たちの心持ちはよくわかる。ここで言う「女」は、男たちの持つある種のファンタジーである。ときにこのファンタジーが、眼前の女性たちと関係しているようにみえるのは不思議なことであり、これが物語の中で様々な波紋をひきおこすことになる。男たちが眼前の女たちに見ているのは実はファンタジーであるからこそ、実際の女たち、あるいは女たちに投影していたファンタジーは容易に消えてしまうのだ。

一方で、いなくなるほうの女たちの視点で凄い話を書いているのが本書の著者田辺聖子である。本書には、いなくなってしまう女たちの秘密を垣間見せてくれる話がいくつもある。表題作の主人公ジョゼも、いついなくなってもいいような覚悟をしている女たちの一人である。

もっとも凄みのある話は末尾にある「雪の降るまで」である。主人公の女性は、本質的には完全に一人で生きる覚悟も準備もしていてなおかつ「(七十、八十まで遊びたい)」(本書、p239)と思いきっているのである。男と会っても常に「会う片端から前世のように遠い過去になる」(p258)のである。相手の男もそれなりに経験の深い人物で、「あんたはいつも、「つづき」にならへんのやなあ。」(p246)とそのあたりは見切っているようだが、実際に突然いなくなってしまったら彼はどうなるのだろう、という怖ろしさが感じられる。田辺聖子は、さらりと書いているようでいながら鋭く突き刺さり、容易には理解しがたい話を他にいくつも遺している。畏怖するべき小説家である。