経営の身体、コミュニケーションの身体:「ゲンロン戦記」東浩紀

1990年代に若き俊英の批評家として颯爽と言論界に登場し華々しく活動してきた著者が、10年前に起業してからこれまでのことを綴っている。 現在の経営体制に落ち着くまでに起こった様々なことが書かれているが、多くの気づきに満ちていて興味深く読まされる。

会社の経営にあたっては権限と責任が一致することがとても大事で、これが無いと確かな経営の「身体」を形作ることができない。とくに経理は身体の血管ともいうべき根幹である。「身体」はとても具体的なものであり、経理書類は電子ファイルではなく、紙に印刷し物理的な対象にして書棚に積み上げないと経営の「身体」として把握することはできないのである。

この会社は、書籍の出版、オンライン・オフライントークの開催などあらゆる手段を尽くして言論の場を創り出すことを目的としている。ここで創り出される言論は、多くの参加者が見たいものを見ようとしかしない普通の言論を、コミュニケーションの「誤配」を通じて変えていく=「啓蒙する」ことを目的としている。

コミュニケーションの「誤配」をひきおこすのは、なによりも言論の場に物理的に集まる参加者の「身体」を通じた密なコミュニケーションである。この会社が体現するこのような価値観は、清潔なオンラインコミュニケーションを良しとするコロナ禍での「新たな生活様式」とは真っ向からぶつかるものである。

「新たな生活様式」はそもそも「身体」とあいいれるものなのか。本書が投げかける問いは、自分自身もこれまでなんとなく思ってきた違和感を「身体」という言葉によって明るみに出してくれたように思う。