戦争をひきおこすもの、戦争がもたらすこと:「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子

それでも、日本人は「戦争」を選んだ (新潮文庫)

ふた月ほど前の2月15日に、某大使がインタビューに答え「軍事技術的な措置」の可能性について述べていたが、公式発表では「特殊軍事作戦」となったようだ。実際にはまぎれもない「戦争」であり、現在も進行中の恐ろしい惨禍となっている。

なぜ戦争になってしまったのか、そして、ロシアは何をもたらそうとして戦争を行っているのか。そう思って本書を読むと、いろいろ考えさせられる。

本書を読むと、戦争は「歴史の誤用」(本書朝日出版社版、p68)によって起こりうると思う。例えばロシア指導部は2014年のクリミアの経験を「誤用」したと思う。そして戦争は最終的には相手国の「国体」(p45)、憲法秩序の変更を要求することになる。もちろん、こんな意味の戦争は現代の国際法では禁止されている。でもロシアの意図しているところを見ると、ウクライナ憲法秩序そのものの変更を要求している。さらに最近では、ウクライナ自体の消滅を意図しているのではないかと見えてきたので、とても気持ちが悪くなる。

現代の国連が主導する世界秩序は、核兵器を多数所有するような大国は安保理常任理事国となって秩序の維持に尽力することが前提となっているはずである。今回の事態は、そのような前提が崩れ去ったことを意味する。ウクライナ政府がもし戦争の冒頭で崩壊し降伏していたら、このことは以前のクリミアのようになんとなく隠蔽され、もしかしたらすべての国が見て見ぬふりをしてしまうこともあったのかもしれない。しかし今やすべてが顕わになった。

この事態は今後どうなっていくのか。1930年代日中戦争の中国指導層は、アメリカとソビエトを巻き込んで最終的に勝つために徹底抗戦を貫いた、というのが本書の見立てである。一方で対する当時の日本政府と世論は、戦争とは思わず警察行動の延長、特殊軍事作戦と捉えていた(暴支膺懲)。今回の戦争も似たような構図になっていると思うが、そう考えてしまうのは歴史の誤用だろうか。